1910年代に開発が始まり、ハリウッドに映画産業が勃興するとともに、少しずつ俳優など映画関係者も住み始めた。しかし、この場所が本格的に注目を浴びるのは1960年代に入ってからだ。ハリウッドには音楽スタジオやレコード会社も多かったため、ミュージシャンたちが住まいを構え始めたのだ。
ザ・ビーチ・ボーイズの天才ブライアン・ウィルソン、生涯にわたる前衛であったフランク・ザッパ、のちにCSN&Yを結成するデヴィッド・クロスビーにスティーヴン・スティルス、カリスマのまま夭折したドアーズのジム・モリソンなど、類は友を呼ぶが如く、多くのミュージシャンが集まってきた。
ミュージシャンたちは互いの家を往き来しながら、のちに「ウエストコースト・ロック」とも呼ばれ、それまでの商業主義的なものとは異なる、料理に例えれば「地産地消」の手づくりの音楽を創り出していく。「自由で美しい土地」とも表現されるローレル・キャニオンではミュージシャンどうしのケミストリー(化学反応)が起こっていたのだ。
ローレル・キャニオンの中心部 /『エコー・イン・ザ・キャニオン』 (c) 2019 Echo In The Canyon LLC ALL RIGHTS RESERVED.
映画「エコー・イン・ザ・キャニオン」は、当時この地に住んでいた、あるいは訪れていたミュージシャンたち(みな音楽界のレジェンドばかりだ)にインタビューを重ねながら、1960年代後半、この場所で何が起きていたかを検証していく興味深いドキュメンタリーだ。
ビートルズもやって来た
作品の冒頭には、まずタイトルともなっている「エコー(echo)」について次のような説明が入る。
「アイデア 感情 スタイルや出来事の類似 または繰り返し(a close parallel or repetition of an idea, feeling, style, or event)」、つまりローレル・キャニオンという場所で起きていた現象について、「エコー」という言葉で集約しながら表現しているのだ。それは谷間に響き合う音楽というイメージにも重なる。
作品では、一見すると田舎町のようなローレル・キャニオンの俯瞰映像を映しながら、この場所に対してのミュージシャンやプロデューサーたちの愛着にも似た証言が続く。