フォークロックのグループ、ザ・バーズのリーダーでもあったロジャー・マッギンは「ザ・ビートルズが好きなバンドにザ・バーズをあげた。びっくりしたよ。彼らを真似たスーツを着て、毎晩、歌っていたからね」と彼らとの出会いを語る。
そしてザ・バーズが初めてのイギリス公演をしたときは「アメリカのビートルズ」と宣伝されて荷が重かったという。「彼らがライブに来たとき、終わってからジョン(レノン)とジョージ(ハリスン)が来て『よかったよ』と言ってくれた」ともマッギンは語る。イギリス滞在中には、ポール(マッカトニー)の店「スコッチ・オブ・セントジェームズ」で飲んだり、彼のアストンマーティン985でドライブもしたりしたという。
ザ・ビートルズのメンバーであったリンゴ・スターも当時の交流ぶりを「(ザ・バースとは)すぐに親しくなった。LAに行くと一緒に遊んだ。あの12弦(ギター)のサウンドも声も最高だった。彼らが大好きだったし、幻覚のような状況も経験し、とても楽しい時を過ごした」と明かす。
リンゴ・スター /『エコー・イン・ザ・キャニオン』 (c) 2019 Echo In The Canyon LLC ALL RIGHTS RESERVED.
残念ながらこのドキュメンタリーへの出演の後に逝去した、ギタリストでロックシンガーのトム・ペティも「ザ・ビートルズがきっかけで、カリフォルニアのフォークロックが始まった。皆があの音を求めた」と証言する。
また前出のスティーヴン・スティルスも「何もかもが影響を与え合っていた。すべてが混ざりあって爆発した。大西洋を超えて互いのレコードを聴いていたし、(ザ・ビートルズの)『ガール』はザ・ビーチ・ボーイズの影響だ」と語る。
大胆な指摘だが、確かにマイナーコードとメジャーコードの違いはあるが、「ガール」はザ・ビーチ・ボーイズの「カリフォルニア・ガールズ」に旋律が似ていると言えなくもない。
ザ・ビートルズの「ラバー・ソウル」(1965年)を聴いて、ザ・ビーチ・ボーイズのブライアン・ウィルソンがロックの名盤とも言われている「ペット・サウンズ」(1966年)を創り出し、それに影響を受けたザ・ビートルズがロック史の金字塔「サージェント・ペッパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」(1967年)を生み出したというのは有名な話だが、まさにそれを裏付けるような貴重な証言もこの作品には登場する。