ボブ・ディランの息子が案内役。60年代LAを訪ねる音楽ドキュメンタリー


自らもこの地に暮らしていたシンガー&ソングライターのジャクソン・ブラウンは、ミュージシャンが多く暮らしていた理由として「彼らが国内外から集まったのは、LA(ロサンゼルス)にレコード会社が多いからだろう。テレビで見る見せかけの世界とは正反対の場だ」と言う。

「夢のカリフォルニア」のヒットで有名なママス&パパスを送り出した敏腕プロデューサーのルー・アドラーは、ローレル・キャニオンの魅力について「サンセット・ストリップからも近く、(それでいて)田舎にいるような雰囲気もある。特別な美しい場所だ」と賛美する。

そのママス&パパスのメンバーの1人であったミシェル・フィリップスは「みんなが曲を書いていた。誰かの家に行く時は常にギターを持っていき、一緒に演奏して、ヒット曲が生まれていった」と当時を懐かしむ。

また、イギリスからこの場所を訪れていたエリック・クラプトンは「最高だったよ。奇抜なことが好きだし、あの場にすべて集まっていた」と証言する。

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エリック・クラプトン /『エコー・イン・ザ・キャニオン』 (c) 2019 Echo In The Canyon LLC ALL RIGHTS RESERVED.

同じくイギリスから移り住み、のちにCSN&Yに参加することになるグラハム・ナッシュも「電話もせずに家を訪ねる、『聴いてくれ』とね。ミュージシャンにも最高の環境だ、とても健康的で前向きで、クリエイティブだった」とこの場所が揺籃の地としていかに優れていたかを語る。

そのCSN&Yの一員だったスティーヴン・スティルスも「素晴らしい音楽が漂っていて、その断片をつかみ自分のなかに取り入れる」とやはり如何に自分がこの場所から音楽的インスピレーションを得ていたかを力説する。

そして「最初に住み始めたのは私だったかもしれない」と語るのは、ザ・バーズの時代にローレル・キャニオンに移住して、ジャム・セッションを繰り返しながらCSN&Yの結成に至るデヴィッド・クロスビーだ。

クロスビーは「精神の自由を感じられ、規則などもなく、自分を縛るものもないという環境だった。人々が関わることで化学反応が起き、周りもそれに刺激されていた」と分析する。

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ローレル・キャニオンに住んでいたミュージシャンのイラストマップ /『エコー・イン・ザ・キャニオン』 (c) 2019 Echo In The Canyon LLC ALL RIGHTS RESERVED.

このようにミュージシャンたちにとっては、まさに理想郷のようなコミュニティがつくられていたローレル・キャニオンだが、作品では「エコー」が響いたのはこの場所だけではなかったことも語られていく。

1960年代のロックミュージックに「革命」を起こしたザ・ビートルズとローレル・キャニオンの浅からぬ縁についても、このドキュメンタリーでは明かされている。
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文=稲垣 伸寿

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