「卒業しない試験は、追いかけてくる」
これは、たしかにその通り。
例えば、ある職場で、ある上司との人間関係で悩む。そこで、その関係から逃れるように転職し、問題が解決したかと思うと、その新たな職場での先輩が、前職の上司と似たタイプの人物であった、といったことが起こるのである。
そして、そのとき、内省力のある人は気がつく。
前職での人間関係の摩擦は、あの上司に、すべての原因があったのではなく、自分にも、良い人間関係を築く力が足りなかったことに気づく。そして、前 の職場で卒業しなかった「試験」が、新たな職場にも追いかけてきたことに気がつく。
では、この「試験」に合格すると、何が起こるのか。その職場での人間関係に処する力など、自分にとっての「成長の課題」に気づき、成長することによって、その課題を超えたとき、何が起こるのか。
「卒業証書」が届く。
それは、その職場からの転属や転勤、ときに転職などの形であるが、我々が、その時期の「成長の課題」を超え、与えられた「試験」に合格すると、不思議なほどのタイミングで、「卒業証書」が届く。
では、それが「卒業証書」であることが、どうして分かるのか。
心に「感謝の思い」が生まれてくるからである。
転属や転勤、転職などの形で、その職場を離れるとき、決して「ああ、この人間関係の苦労から逃れられる」といった否定的な心境ではなく、「ああ、この職場でも成長させて頂いた。色々な人間関係の悩みや苦労を与えられたが、どれも、自分自身の心の成長のために、必要なものであった。有り難いことであった」という心境が訪れる。
そして、その心境が訪れたとき、新たな職場で、前職での経験を肯定的に語る自分、ときに感謝の思いを持って語る自分に、気がつくだろう。
そして、その「卒業証書」を手にしたとき、新たな職場で、なぜか不思議なほど、素晴らしい挑戦の機会や活躍の機会が与えられるだろう。
それゆえ、もし我々が、心の中に「卒業しない試験は、追いかけてくる」という覚悟を定め、人間関係の苦労を自身の人間成長への糧とする歩みを積み重ねていくならば、いつか、気がつく。
我々の人生は、見事なほど、「大いなる何か」に導かれていることに、気がつくだろう。
田坂広志の連載「深き思索、静かな気づき」
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