長女で宇沢国際学館代表取締役・占部まり氏に寄稿してもらった。
「つるとかめ合わせて3びきいます。合わせて足が9本です。さてつるは何びき、かめは何びき?」
そんな問題をおじいちゃんから出された孫たちは当然驚きます。「そんなわけないよ!」「奇数になるなんて!」。
仙人のようなひげをたたえたおじいちゃんは嬉しそうに答えます。「つるが足たたんで寝ていたの」とか「かめが交通事故で足をなくしちゃって3本だったの」。孫たちは「ずるーい!」と、きゃーきゃー大騒ぎです。
ひげのおじいちゃんの娘である私が「子どもたちにいい加減なことを教えないで!」と怒っても、平然として「まあまあ、細かいことはいいからさ」と楽しげ。気づかれないと思っているのか、子ども用のプラスチックカップに入れた、いい気分になる魔法の水を飲みながら笑っていました。
このおひげのおじいちゃんが、日本人でノーベル経済学賞にいちばん近いといわれていた経済学者・宇沢弘文です。人々が幸福に暮らせる社会を構築するには経済学から何ができるのか。突き詰めて考えていた人生でした。2014年にこの世を去りますが、その理論は、色あせることなく、さらに注目を浴びています。
宇沢の社会的共通資本と教育
シカゴ大学経済学部の教授に36歳の若さで就任するなど、敗戦国日本から現れた新進気鋭の数理経済学者であった宇沢は、当時の経済学の最先端をいくケネス・アローをはじめ、新自由主義の権化のミルトン・フリードマンらとの対話を通じ、社会的共通資本や比例型炭素税という理論構築への足がかりを固めました。高度成長期真っただなかに帰国し、水俣病などの公害病の現状を目の当たりにして、数字の上での経済成長が必ずしも豊かさにつながるわけではないことを強烈に感じて、生命など大切なものをお金に変えない経済学として1974年に『自動車の社会的費用』を上梓、SDGsの根源を支えると言っても過言ではない社会的共通資本の理論構築を目指します。
社会的共通資本とは、豊かな社会に欠かせないもの、自然環境、教育や医療などのことです。それらを市場原理主義から切り離し利潤をむさぼる対象としないことが、社会を安定的に支え、成長を支えるという考えです。
教育は社会的共通資本のなかでは、制度資本に含まれます。社会的共通資本とされるものは、基本的に、誠意をもって運営するほど利潤を生みにくいものです。教育というものの効果を金銭的なものに換算することは、不可能です。その人の価値というものが、生涯賃金といったような単一的なものでは考えることができないからです。