2.「群れるな」。父は、東京大学の宇沢ゼミ生たちが、卒業後に親密な関係を続けることをよしとはしていませんでした。エリートコースを進んでいく人々が、忖度(そんたく)し合う関係性になることを戒めていたのかもしれません。学問というのが孤独なものであること、正しいと思うことを突き詰めていくことは自律的であることが求められていることも示唆しています。
3.「己を知れ」。これは直接、父が言っていた言葉ではありません。ですが、父はああ見えて、自分自身を冷静に観察していたところも多々ありました。英語が下手であること、日本語の文章があまりうまくないことを自覚していました。
父をアメリカに呼び寄せてくれたケネス・アローの高度なことを伝えながら、温かい人柄がにじみ出るような英語や、何げない情景を巧みに表現した小説家の安岡章太郎の日本語などにじかに触れながら、努力し続けました。
己を知ることが、リーダーシッププログラムの中核をなしているのも興味深いことです。己や組織の長所や短所を知ることから、その先を目指す。そのような能力は健康管理という側面でも重要です。
ポジティヴ・ヘルスというオランダから始まった新しい健康観は自身の健康を把握することから始まります。健康を病気ではないという「状態」ではなく、困難な状況に立ち向かう「能力」とする考え方です。既存の枠から飛び出して考えるということは、健康に対しても重要なのです。
これらは、今までの人々が蓄積してきた叡智に触れ、突き詰めて考えるということにつながっていきます。リベラル・アーツが目指すのは仏教でいう“智慧(ちえ)”、「世のあらゆる現象や物事の核心にあるものを悟り、正しく判断をしていく能力」の習得と近いとも感じています。
宇沢が孫に出していたつるかめ算も“智慧”を体得するヒントと考えていたのではないかと思うことがあります。物事には時に、暗黙の前提条件があり、それが常に成立しているとは限らないこと、多角的に見ることの重要性、つるの足が2本でなくてもいいという多様性を受容する、思考の範囲を個人の常識からできる限り広げるといったことを伝えたかったのかもしれません。
父は、ヴェブレンの言葉、「大学で重要なのは“自由な知識欲と職人気質”である」をよく引用していました。この2つの人間的本能が教育の場の根底を支えています。この本能が豊かに開花できる自由な学びの場が広がることが、混迷する現代社会を豊かなものに転換する大きな力になると強く感じています。
占部まり◎内科医、宇沢国際学館取締役。1965年、シカゴにて宇沢弘文の長女として生まれる。東京慈恵医科大卒。現在は地域医療に従事するかたわら、宇沢の「社会的共通資本」をより多くの人に知ってもらうための活動を行う。京都大学人と社会の未来研究院にて、社会的共通資本の未来寄付研究部門が2022年5月1日設立される予定である。環境問題や教育・医療など社会的共通資本を軸に横断的な研究が期待されている。
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