「カオス的世界」に処する叡智

我が国で「複雑系」(complex systems)の研究に興味と注目が集まったのは1990年代であったが、当時、「複雑系」とは何かを論じるのに、「遺伝的アルゴリズム」や「ニューラルネットワーク」「人工生命」(artificial life)などの難しい専門用語が、数多く使われた。

しかし、実は、この「複雑系」というものの本質を説明するのに、そうした難しい言葉は必要ない。

その本質は、かつて、文化人類学者のグレゴリー・ベイトソンが遺した、次の言葉に象徴されている。

「複雑なものには、生命が宿る」

たしかに、その通り。それが、物理や化学のシステムであっても、企業や市場や社会などのシステムであっても、そのシステムが複雑になり、内部での「相互連関性」が高まっていくと、そのシステムは、自己組織化、創発、生態系形成、進化など「生命的システム」に特徴的な性質を示すようになる。

特に、それが企業や市場や社会などの場合には、企業文化や株式市場、社会的ブームなどに象徴されるように、それらのシステムが、あたかも自らの「意志」を持った「生き物」のように振舞うため、しばしば、人為的なコントロールが出来なくなる。

そして、これから、企業や市場、社会や国家は「複雑系」としての性質を一層強めていくため、我々は、制御や管理が困難な「生命的システム」に処する叡智を、深く学んでいかなければならない。

実は、この問題を論じ、生命的システムとしての企業や市場、社会や国家に処する叡智について語ったのが、1997年に上梓した拙著『複雑系の経営』や『複雑系の知』であるが、現在の世界情勢の混沌を見ていると、四半世紀前に書いたこれらの著書のメッセージが、深刻な響きを持って蘇ってくる。

なぜなら、企業や市場、社会や国家が「複雑系」としての性質を強めていくと、上記の性質に加え、最も制御困難な性質を示し始めるからである。

それは「バタフライ効果」と呼ばれるもの。

これは「北京で蝶々が羽ばたくと、ニューヨークでハリケーンが起こる」という比喩から名付けられた性質であるが、専門用語で言えば、「システムの片隅の小さなゆらぎが、システム全体に巨大な変動をもたらす」という「摂動敏感性」のことである。

この生命的システムの持つ自己組織化や進化、摂動敏感性を科学の世界で深く研究したのは、1977年にノーベル化学賞を受賞したイリヤ・プリゴジンであるが、彼は、化学的システムが混沌(カオス)を経て進化するとき、小さなゆらぎが、その進化の結果を決定的に変えてしまうプロセスを、「散逸構造理論」という斬新な理論によって説明した。
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文=田坂広志

この記事は 「Forbes JAPAN No.093 2022年月5号(2022/3/25発売)」に掲載されています。 定期購読はこちら >>

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