コロナ禍に続くウクライナ危機で、不安を抱いている人へ

イタリアのミラノで、ロシアのウクライナ攻撃に抗議する旗やバナーを持つウクライナ人コミュニティの人たち(3月13日)(Photo by Piero Cruciatti/Anadolu Agency via Getty Images)

私たちは、新型コロナウイルス感染症と戦ってきた。デルタ株が現れ、続いてオミクロン株に立ち向かってきた。状況が変わるたびに、暮らしは改善しそうに思われたが、なかなかそうはならなかった。ストレスと不安、恐怖に満ちた、長い2年間だった。

そして、ほんのつかの間、希望が芽生えた。米国など世界の国々では、新規感染者が減少し、マスク着用をはじめとした感染対策の義務化が解除され、雰囲気は明るくなった。そんな矢先に、ロシアがウクライナに侵攻した。

そうして、まったく異なる新たな恐怖が生まれた。ウクライナへと進軍するロシア軍の戦車、轟音とともに飛行する戦闘機。地下鉄の駅に避難するウクライナ人家族、武器を手に取るウクライナの一般市民。そうした様子を目にし、衝撃と悲しみが世界中を駆け巡った。

すでに100万人を超えるウクライナの人々が、安全な場所を求めて国外に避難したようだ。私たちは、戦闘や破壊された町などを報じるニュースを見て、自らの無力さと、なす術もないことを痛感している。

注意すべき兆候


2年にわたる苦しみを経た直後に、悲惨な事態が新たに発生したせいで、人々は燃え尽きたような感覚を抱いている。その兆候としては、やる気や活力の欠如があり、倦怠感が伴う。仕事などをしていても、気が散って集中力が長続きしない。日々の生活や仕事への興味も失われている。こうした感覚が生じているのは、精神的にも身体的にもストレスがかかった日々が、過度に長く続いたせいだ。

すぐに取り乱し、イライラしやすく、どうやったら以前の自分に戻れるのかがわからない。1日を通して、つまらないことで言い争い、同僚にきつく当たったり、大切な家族や友人に、辛辣で悪意のある言葉を吐いたりする。

燃え尽きた感覚は、公私を問わず人間関係を悪化させる。決断をするのが重荷に感じられ、家でもオフィスでも、考えや意見を述べたいと思えるほど、物事に深い関心を持てない。

どう対処するべきか


我々は、世界大戦が起きるのではないかという脅威を前に、途方に暮れそうなくらい心をかき乱されている。新型コロナウイルスに感染するのではないか、あるいは他の人を感染させるのではないかと、不安を抱えながら2年も暮らしてきたあとであれば、なおさらだ。
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翻訳=遠藤康子/ガリレオ

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