当時、ほとんどの国はOPECで合意された「公式販売価格」で石油を販売する方式を維持していたが、これも役に立たなかった。第2次石油危機が起きた当初、スポット市場で取引される原油は全体のほんの数パーセントにすぎず、買い手が殺到したためスポット価格は公式価格を大幅に上回る水準に押し上げられた。輸出国側にとっては、公式価格での石油取引契約を解除したり、見直したりするほうが都合がよかった。そうすれば、スポット市場でより高い価格で再販できるからだ。さらに買い手側から上乗せ価格を提示されることもあった。たとえばクウェートは、以前は自国で産出する原油の大半をBP、ガルフ、シェルの3社に販売していたが、その量を8割減らし、その分をより高値で買ってくれる新しい顧客に振り替えた。
一方、従来のルートからの供給が細った石油メジャーは、新たな供給元を探さざるを得なくなり、第三者、なかでも日本の石油会社への販売も絞らざるを得なくなった。そして、こうした下流の企業もまたみずから新たな供給元を見つけなくてはいけなくなった。石油消費国側は、互いに希少なスポット原油を奪い合うのではなく、それぞれ自国の石油会社ができる限り原油を確保することを奨励した。
つまり、当時は市場に原油が不足していたわけではなかったが、供給がきわめて不透明な状態になっていた。各国の石油会社は、産油国の国営石油会社がいつ契約を破棄するか、あるいは石油メジャーがいつ不可抗力条項を宣言するかがまったくわからなかった。多くの企業は、数十年続けてきた供給パターンに代えて短期契約やスポット取引に頼った。こうした不確実性のために在庫の価値が上がったことが、在庫の積み上がった一因だった。市場の「安定」の裏側にある、こうしたミクロ経済的な動きは見えにくく、気づいている人はいまも少ない。
ロシアの石油会社を国際決済網の国際銀行間通信協会(SWIFT)から切り離したあとも、似たような結果になる可能性がある。ロシア側が西側の国や企業に代わる新たな買い手を見つけることは十分あり得るだろう。たとえば中国は一国だけで、ロシアが輸出している量よりも多くの石油を輸入している。ただし、こうした切り替えをするには、複雑な取引網をあらためて張り巡らせたり、物流を新たに手配したりする必要も出てくる。バルト海や黒海からアジアに原油を輸出する場合、欧州の市場に運ぶ場合よりも何週間も時間がかかるだろうし、その間、中国が中東産原油を欧州の精製業者に譲るとは考えにくい(タンカーの所有者が儲かるのは確実だが)。
1978年から80年にかけて起きたように、原油価格はまた3倍に跳ね上がってしまうのか。おそらくそうはならないのだろう。今回の危機によって従来の石油輸送地図に空白が生まれても、その多くは各国の戦略備蓄の放出によって埋め合わされると考えられるからだ。それでも今後数週間は、石油市場にとっても相当波乱含みの展開になると覚悟したほうがよさそうだ。