しかし、その後イランでシャーの専制に挑んだ勢力はこうした動きを意に介せず、石油市場は再び動揺することになる(第2次石油危機)。ほとぼりがさめたころには石油業界も大きく変わっており、原油価格は2021年のドル換算で以前の44ドルから98ドルに跳ね上がっていた。ただ、驚くべきことに、当時、原油の実物市場はほぼ一貫して安定しており、イラン革命前後3年間の大半はむしろ供給過剰だった。イラン以外の石油輸出国機構(OPEC)加盟国がすぐに増産できたため、OPEC全体の原油生産量は1979年4月には前年11月の水準に回復している。
実のところこの時期の原油価格上昇の約75%は、1979年の第2四半期(4〜6月)以降に起きたものである。同期以降には在庫はすでに急激に増加していた。
なぜ在庫が急増したのか。基本的にはこう答えることができる。地政学的にも、また業界としても不確実性が高まっていたからだ、と。地政学的な不確実性というのは、そのころ、ホメイニが湾岸の君主国やイラクのサダム・フセイン政権など近隣諸国を脅していたことを指している(フセインとはほどなくして戦火を交えることになる)。1979年11月には、サウジアラビアにある聖地メッカの大モスクが過激派(テロリスト)に占拠される事件が起き、サウジでの政権転覆や内戦突入が危惧される事態にもなった。世界の石油供給の大部分を占める国々が脅威にさらされているとき、石油の在庫を積み増すのは合理的な反応だろう。
見落とされがちなのは、石油業界の構造も大きく変化していた点だ。このころまでにOPEC加盟国の大半は石油の上流事業を国有化していたが、産出する原油の大半は「セブンシスターズ」と呼ばれた石油メジャーなど、以前の権益保持者に引き続き販売していた。だが、イラン革命が勃発すると、そうした企業はイランからの石油供給を失っただけでなく、ほかの産油国からも輸出を制限されることになった。たとえばリビアは、技術的な問題を理由に契約を解除した。その後、リビア産などの原油はスポット市場で以前よりもはるかに高い価格で販売されるようになる。イランからの供給を失った国や企業が、高い価格で入札するようになったからだ。