息子は「上」へ、父は「下」へ。身体に刻まれたそれぞれの運命|「リトル・ダンサー」

映画「リトル・ダンサー」より イラスト=大野左紀子


バレエ発覚以前に現れていたビリーとジャッキーの齟齬は、他にもある。母の不在だ。

ビリーは、幼少期に死別した母の代わりに認知症の祖母の面倒をみている。11歳にして家庭の中で母親的なケアの役目を引き受けつつ、ボクシングで”男らしく”あることも要求されるという分裂を、ビリーは抱え込んでいる。

生前の母がよく弾いていたであろうピアノの鍵盤に触れるビリーに、「ピアノを弾くな」とジャッキーが牽制するシーンがある。目下、炭坑のストライキの真っ只中の緊張した空気が家庭内でも漂う中、ピアノの音がジャッキーにとってノイズというだけではない。

ピアノを通じて亡き母を慕うビリーの気持ちが、妻の喪失がまだ癒えぬジャッキーの傷口に抵触してくるのだ。強くあらねばならない場面でうっかり内面的な弱さが漏れてしまうことを、彼は恐れている。

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ビリーを演じたジェイミー・ベル(2000年撮影)(Fred Duval/Getty Images)

中盤で、ビリーにロイヤル・バレエ・スクールへの進学を勧めるウィルキンソン先生と全面対決した後、ジャッキーがそのピアノを斧で叩き壊してしまうのも、バレエに通じる一切を認めないという息子への暴力的意志の表れであるとともに、完全に立ち直れていない自分に対し、無意識のうちに深い自傷行為をしているように映る。

父親の重大な決心


ドラマが始まった時、炭坑夫たちによる賃上げ要求のストライキは既に難しい局面を迎えている。だがイキリ立つ若いトニーに対して、ジャッキーは重たく黙り込みがちだ。

つまりジャッキーは最初から、傷つき悩んでいるがそれを隠している男として登場している。警官との激しい揉み合いのシーンが何度か出てくるが、仲間のスト破りを非難する言葉とは裏腹に、彼は自分たちの戦いが非常に困難なことを知っている。さらには、ビリーの思いがけない「反逆」──それを自分は踏み潰そうとしているが──も、彼を陰鬱にしている。

ピアノ破壊事件の後の、誰も喋らないどんよりしたムード満載のクリスマスで、それまで強面を維持してきたジャッキーがついに嗚咽を漏らすのは、父として戦ってきたはずの自分のどうしようもない無力感を自覚したからに他ならない。

そのダメ押しが、ビリーのダンスだ。一度は夢を諦めかけたものの「ダンスする身体」を持て余し、体育館で父に見せつけるかのように全力で踊りまくるビリーの姿は、言葉によるどんな説得よりも雄弁にジャッキーの胸を直撃する。

翌朝、スト破りの列に加わり「裏切り者!」と仲間たちに罵倒される父の姿に驚くトニーに向かって、「ビリーの夢を叶えてやってくれ」と泣いて訴える場面は、この寡黙で昔気質の父親がどれだけ重大な決心をしたかを伺わせる。
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文・イラスト=大野 左紀子

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