息子は「上」へ、父は「下」へ。身体に刻まれたそれぞれの運命|「リトル・ダンサー」

映画「リトル・ダンサー」より イラスト=大野左紀子

親と子供が初めて対立する時、その筆頭は、子供が将来の進路を決めようとする時ではないだろうか。

現代はあくまで子供の意志を尊重しようとする親や、逆に親の希望をはみ出さない範囲で進路を考える子供が多いのかもしれないが、それでも価値観の違いによって食い違いが生じることはある。

それまで親の庇護下にあって概ねは親に従ってきた子供が、年頃になって親とはまったく異なる将来を思い描き、親が進んできた道とは完全に別の道を選ぶとは、少し大袈裟に言えば、親の作ってきた世界にNOを突きつけるにも等しい「反逆」である。

だが、親子間に明確な権力関係があればあるほど、この「反逆」の意味に親はなかなか気づくことができないだろう。『リトル・ダンサー』(スティーブン・ダルドリー監督、2000)に登場するのも、そんな父親である。

跳躍する少年ビリーと地下に潜る父ジャッキー


1984年、イギリス北部の小さな炭鉱の町。学校帰りに父の勧めでボクシングの練習に通っていたビリー・エリオット(ジェイミー・ベル)は、ある日同じ体育館で行われていたバレエのレッスンに興味をもち、ウィルキンソン先生(ジュリー・ウォルターズ)のもと、少女たちに混じって踊るうちに才能が花開き、バレエダンサーを夢見るようになるが、父ジャッキー(ゲイリー・ルイス)に発覚、「男がバレエなんか!」と頭ごなしに否定される。

自分がそうだったようにビリーが”男のスポーツ”であるボクシングを続け、歳の離れた長男トニーに続いて自分と同じ炭坑夫になることは、ジャッキーからすれば太陽が東から昇るくらい当然のことである。この小さな町の貧しい暮らしでは、他に選択の道はない。

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ビリーも、炭坑の町の子として父の苦労の内実を知れば知るほど、正面切って歯向かうことができなくなる。そもそもまだ11歳で、あらゆる面で父に太刀打ちできない。

長年鉱山で働いてきた男ジャッキーの、固く結んだ口元と上背はないががっしりした体つき全体から発せられる「重さ」がリアルだ。

一方ビリーは、11歳の少年らしい筋肉はあるものの痩せ型で、身が軽い。タイトルロールではレコードに合わせてベッドの上で飛び跳ねているし、冒頭、祖母の朝食を用意しているキッチンのシーンでも、踊るように体が動く。

炭坑夫として地下深くに潜るジャッキーと、軽々と跳躍するビリー。「下」へ沈む父。「上」へ向かう息子。身体のあり方が正反対なのだ。ビリーがジャッキーと同じ道に進まないことは、最初からその身体にはっきりと刻印されている。
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文・イラスト=大野 左紀子

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