シンプルな単語パズル「ワードル」が米国を席巻した理由

Alexi Rosenfeld/Getty Images


流行は、その時代を物語る。1950年代にフラフープが流行した背景には、子どもの有り余るエネルギーを屋外で発散させようというベビーブーム世代の親たちの思いがあった。1960年代後半には、フライングディスクがビーチやヒッピー文化にぴったりの遊びとなった。石をペットとして愛でる「ペット・ロック」は、自己中心的な1970年代にマッチ。ルービックキューブは、コンピューター文化と相まって流行した。

そして、誰もが「勝利」を必要とする時代に登場したのが、ワードルだった。ショッピング、レストランでの外食、学校のイベントへの参加など、以前は当たり前だったことが、今では不安に満ちたものとなってしまった。ツイッター上は、民主主義の終わりを警告するコメントや、コロナ関連の悲劇、政治闘争など、陰惨な投稿であふれている。

何かに秀でても、もはやかつてのように重宝されない。専門分野を持つ人は、苦労して身につけたスキルが以前ほど高く評価されないと嘆いている。スポーツは政治問題のほか、ドーピングや巨大ビジネスも絡むようになってしまった。昔は容認されていた大学での悪ふざけも、今やエリート主義や男女差別としてみなされるようになった。

世間がこのネガティブな波に襲われる中、誰もが簡単にできるシンプルなオンライン単語ゲームが現れた。最後に楽々と勝利を手にできたのは、いったいいつのことだろうか? ワードルでは、毎日勝利を味わえる。自分だけでなく、友人や家族もまた勝てるのだ。コロナ以前は、皆で集まったり、フェイスブックやインスタグラムで写真を共有したりできた。だが今や、人の集まりは安全ではなくなり、フェイスブックもクールなものではなくなった。生活の中でのささやかな勝利は、いったいどこにいってしまったのか?

私は、「4/6 ワードル 211」というボックスの画面キャプチャー、特に「2/6 ワードル 212」などという好成績の投稿を目にするたびに、顔がほころぶ。そして、この2年間の苦難にもかかわらず、米国人は今でも、ちょっとしたことに喜びを感じて人と繋がり合えるのがわかって、嬉しい気持ちになる。

編集=遠藤宗生

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