所得水準が下端にある労働者の賃金は、インフレによりその多くが相殺されてはいるものの上昇している。労働者の自信のレベルを示す自己都合退職は、学位を持たない労働者の間で増えているが、4年制大学以上の学位を持つ労働者の間では減っている。
学生の圧倒的大多数は、雇用の機会改善を目的として大学に通う。しかし、求人広告が至るところにある現在、進学を考える人の多くは当然、果たして学位が必要なのかと疑問に思っている。
労働市場の逼迫(ひっぱく)により高等教育が求められることが少なくなり、大学はそれを埋め合わせるために授業料を削減している。この状況は、前回の不況とは逆だ。当時は6人の失業者に対し求人は1つと労働市場が停滞し、人々が大学に一時退避したことから、大学への入学者数と授業料が急増した。
今回の状況はその逆で、現在の傾向が続けば高等教育には甚大な影響が生じるかもしれない。
大学は、中産階級への入り口と考えられていて、それにはもっともな理由がある。
高賃金の仕事の多くは採用の条件に学位を設けている。そこに至る唯一の橋を管理しているのが従来の4年制大学だ。そのためこうした大学は、これまで長年にわたり懲罰的に高い「通行料」を徴収することができた。
しかし、高賃金の仕事へと続く橋が他にもあったらどうだろう?
ノースイースタン大学やハーバード大学、ボストン連邦準備銀行の研究者らが直近の経済回復時に行った2016年の調査では、労働市場が逼迫したことで雇用主が大学の学位要件を除外するようになったことが示された。現在の活発な労働市場では、数千もの雇用主が過剰な学位要件をなくしている。この事実からは、こうした仕事の多くでは最初から大学の学位が必要ではなかったことが示唆されている。
4年制大学の学位を取得することなく中産階級の仕事に就けるのであれば、大学の需要がより構造的に減り、授業料もそれに合わせて下がるはずだ。街へと続く橋が増えれば、1つの橋で支払う通行料が減る。
そうなれば、労働市場のひっ迫により大学の需要が減り、大学の卒業生が減ることで雇用主が学位要件を設けなくなり、従来の高等教育への需要がさらに下がるという好循環が予想できる。新たに学位要件がなくなった職に就いた労働者は、4年間学校に通って3万ドル(約340万円)の学生ローンを抱え込む必要がなくなり、学位がいまだに必要な職を目指す人はより低い授業料を享受できる。
この好循環が続くか、あるいは労働市場の冷え込みとともに次第に衰えるかは推測の域を出ない。とはいえ政策決定者らは、実習や実地訓練など労働者が人的資源を得るための代替手段を設ける(つまりより多くの橋を建設する)ことで支援できる。運が良ければ、授業料が減ったことを学生が祝う年は今年で最後にならないだろう。