触発されたのは、E・ロメール監督の短編
「偶然と想像」の企画を進めるにあたって、濱口監督の頭にあったのは「短編映画をつくりたい。それを自分の映画づくりのサイクルのなかに加えたい」という思いだったという。
近年は「寝ても覚めても」や「ドライブ・マイ・カー」で商業映画にも進出していた濱口監督だが、オリジナル作品に対してのこだわりは強く、それを短編というかたちで、自らの創作活動のもうひとつの柱としてローテーションに加えたいという願いのようにも思える。
「2018 年に、パリでエリック・ロメール監督の編集を20数年やっていたマリー・ステファンさんにお目にかかる機会があり、そのときに彼女から、いかに短編というものがロメール監督にとって重要だったかを聞きました。『いまはカメラもマイクも簡単に手に入るのに、なぜ私たちのように少人数体制で撮らないのか』という話を伺い、本当にそのとおりだと思いました」
こう語る濱口監督だが、自分にとっても短編は長編製作との間で創作のリズムをつくってくれる大切なものだという。 それを興行として通用させようとするとき、ロメール監督の「パリのランデブー」(1995年) のような3つの短編からなるオムニバス作品のような形が有効ではないかと考えたという。
濱口監督は、まず週に1話ずつ脚本を書いてプロデューサーに送った。それが2019 年4月のことで、当初考えていたのは、同一テーマによる全7本の短編の製作だったという。濱口監督は次のように語る。
「物語に偶然を入れ込むというのは実は難しいのです。ともすれば、物語を進めていくうえでご都合主義にしか見えない可能性も高い。それを観客に受け入れてもらえるように機能させてみることはできないかと、自分としてはまた新しいチャレンジができる気がしました」
そして作品は、まずは最初の3本をまとめるというものになったという。
「もともとは『偶然をめぐる7話』というシリーズタイトルでした。 それが3話を撮ってみたところで、全部ある種のフィクションというか想像力にかかわる話ではないかと思ったのです。残りの4話もそういう想像力を使うものにきっとなる。偶然だけではどうなのかなと考えていたので、いい感じにタイトルも落ち着きました」
濱口作品では、撮影に入る前のリハーサルが重要だ。中心となるのは役者との脚本の読み合わせ。今回の「偶然と想像」では、1話について1週間から10 日ほど時間をかけた。また撮影が始まっても、随時、脚本に変更を加えるなど、読み合わせと撮影に明確な線引きはなかったという。
「リハーサルをやって、撮影をやって、またリハーサルを挟んで撮影をやるみたいな感じです。撮影そのものがリハーサルになっている部分もあったかもしれません」(濱口監督)
(c)2021 NEOPA fictive
撮影は、2019年8月に2話目の「扉は開けたままで」から始め、10月に「魔法(よりもっと不確か)」が続いたという。その後、「ドライブ・マイ・カー」のロケハンも始まっていたが、翌年の3月コロナ禍によって撮影が中止になると、その期間に3話目の「一度だけ」の撮影を行ったという。
前述のように「偶然と想像」と「ドライブ・マイ・カー」は並行するように製作が進行することになったが、そのどちらの作品も、かたやヨーロッパで、かたやアメリカで賞に輝いたのは、まさに濱口監督の創作活動の両輪が評価されたといってもよい。
ちなみにアメリカの映画賞で快進撃を続ける「ドライブ・マイ・カー」は、アカデミー賞の国際長編映画賞部門の日本代表にも決定しているが、ニューヨーク映画批評家協会賞やボストン映画批評家協会賞の受賞で、作品賞や監督賞でもノミネートされる可能性は高い。
一昨年、「パラサイト 半地下の家族」(2019年)がアカデミー賞の作品賞と監督賞に輝いて以来、アジアへの関心が高まっているため(今年、作品賞と監督賞を受賞した「ノマドランド」のクロエ・ジャオ監督は中国・北京の出身)、「ドライブ・マイ・カー」の受賞についても大いに期待が高まっている。
連載:シネマ未来鏡
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