日本へ亡命を果たした「覚悟のゴールキーパー」のチャレンジ

入団会見時のピエリアン・アウン(右)とY.S.C.Cフットサル監督前田佳宏(左)/photo by 藤江直人


テレビで生中継され、多くのメディアも注目する日本戦ならさまざまな人々の耳目を集められる。同時に深刻なリスクを生じさせる行為でもあると覚悟していた。

「絶対にミャンマーへは帰って来るな。帰って来たら殺されるぞ」

ほどなくして友人から警告を込めた連絡が入った。国軍に場所を割り出されたマンダレーにある実家は、今も監視下に置かれているとアウンは表情を曇らせる。

「新型コロナでロックダウンされたことで人数は減ったけど、多い時で7、8人の兵士が朝、晩と実家を監視していた。その後は私服姿の怪しい人間も来るようになった」

SNSのチャットを介して実家に暮らす父と兄、弟の安全を確認していたアウンの身を案じた、在日ミャンマー人やその支援者から政治亡命という手があると教えられた。

しかし、ワールドカップ予選の舞台が大阪へ移った中で、アウンは宿泊するホテルの部屋で実質的に軟禁下に置かれたままミャンマー代表は全日程を戦い終えた。

政治亡命を半ばあきらめたアウンは、6月16日深夜発の便でチームともに帰国するために関西国際空港へ向かった。支援者たちからメールが届いたのはその時だった。

「出国審査で帰国を拒む。それが最後のチャンスだ!」

土壇場での亡命申請は奏功し、帰国すれば迫害を受ける恐れのあるミャンマー人への暫定的緊急避難措置として、7月2日に6ヵ月間の短期在留資格を得た。

「日本に来る前はもちろん、代表メンバーの一員として日本に滞在している間も、支援してくれた方々から教えられるまで難民認定制度というものをまったく知らなかった」

8月20日にその難民申請が認められ、5年間の在留と就労が可能となる在留資格を得たアウンは、同時に祖国と袂を分かった。政治体制が変わるまで帰国はかなわない。

通訳を含めて日常生活をサポートする在日ミャンマー人男性との同居生活の拠点は横浜市内の2DKのアパート。窓の外が暗い午前4時に起床し、身支度を整えてから6時にスタートするフットサルッチームの練習場へ向かう。

プレーするアウン

プロ契約を結んだ松井とアウン以外は、フットサルチームの選手たちはそれぞれ仕事に就いて生計を立てている。ゆえに午前8時には練習を終わらせる必要があった。

生活ができる最低水準の年俸を受け取るアウンは、自らの希望で平日の5日間は、横浜から紹介された化粧品関係の製造業で午前9時からライン作業に就いている。

午後5時の終業後には慌ただしく帰宅し、ミャンマー語に堪能な日本人の有志が講師を買って出てくれたオンラインによる日本語のレッスンを日課にしている。
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文・写真=藤江直人

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