「私たちは町の課題解決をスポーツで、という精神のもとで、ポジティブに生きられる社会作りを目指してきた地域の町クラブ。スポーツ、特にフットボールが持つ力は無限だと思っているので、彼が心の中に平静を保てるような日常を提供したかった」
3日間のトライアルを経て、7月下旬から正式に練習生として受け入れられたアウンだったが、大阪滞在中はほとんど練習をしていなかったために体力が落ちていた。加えて横浜にはゴールキーパーが4人在籍する事情もあり、控え選手が移籍した関係でゴールキーパーが一人だけになっていたフットサルチームの練習に参加した。
一緒に汗を流すことになった選手たちも、最初はある種の戸惑いを抱いたはずだ。それでも時間の経過ともにチーム内に明らかな変化が生じたとフットサル部門の渡邉瞬GMが笑顔で振り返る。それはプロ契約を結ぶ最大の理由にもなった。
「アウンが持つポテンシャルの高さに加えて、ウチの若い選手たちがトレーニング中に積極的にコミュニケーションを取る光景や、彼の生活をサポートする姿を見ていて、総合的に考えてクラブにとってプラスになると思って契約を決めました」
日本代表にも名を連ねたサッカーからフットサルへ転向し、アウンと同時期に横浜とプロ契約を結んだ松井大輔は、チーム内の様子をこう説明した。
「日々の練習で若い選手たちがいろいろな日本語を教えていて、すごくいい感じで過ごしている。海外でプレーするのは言葉や文化の問題もあってすごく難しいので、みなさんも街中で彼を見つけたら、頑張ってねという声をかけてくれると嬉しい」
松井自身もフランスを皮切りにロシア、ブルガリア、ポーランド、そしてベトナムでプレーした。それだけに、現地の言葉を覚えることの大切さを肌で知っている。
練習生の期間からアウンと多くの時間を共有してきたキャプテンの宿本諒太は、フットサルッチームに関わる選手やスタッフ全員の思いを「報いる」という言葉で表す。
「彼の決断には覚悟を感じるので、僕たちはそれに報いたいと思っている」
「絶対にミャンマーへは帰って来るな。帰って来たら殺されるぞ」
アウンと出会うまでは難民という言葉を聞いても、ニュースで見聞きする程度の、どこか遠い世界の存在でしかなかった。当然ながらほとんど気にも留めなかったし、何よりも難民が何を意味しているのかも正確にはわかっていなかった。
しかし、偶然に導かれる形でチームメイトになったアウンが、難民を選ぶに至った理由や背景を知るほどに、彼が胸中に秘める悲壮な覚悟が痛いほどに伝わってきた。
ミャンマー代表の一員として来日し、日本代表とカタールワールドカップ・アジア2次予選を戦った5月28日を境にアウンの人生は大きく変わった。
キックオフ前の国歌斉唱。舞台となったフクダ電子アリーナのベンチ前で、セカンドキーパーのアウンは自分へテレビカメラが向けられる瞬間を待っていた。
非合法のクーデターで今年2月に政権を奪取し、国民への弾圧を続ける国軍へ抗議するために、アウンは『WE』『NEED』『JUSTICE』を綴った右手の三本指を掲げた。
来日前から覚悟を決めていたアウンは、在日ミャンマー人を介してテレビを中心に日本のメディアとコンタクト。サッカーは軍事政権のプロパガンダにはなりえないというメッセージを国内外へ発信する意思を事前に伝えた。その理由をこう明かす。
「日本に来る前から、ミャンマーサッカー連盟に対して『連盟は国軍の傘下にはなく、完全に独立している法人』という声明を出すように求めていた。連盟も賛同してくれたが、実際の声明には何も謳われていなかった。それが残念でならなかった」