正義感でミャンマーを語る前に

残虐非道の国軍大佐も、ついには正義の戦士に腹を引き裂かれて悶死する。映画『ランボー 最後の戦場』だ。2008年のこの映画の舞台はミャンマーである。さながら連日報道される現在の同国の姿だ。

ミャンマーの混乱の大元をたどると、英国の植民地政策に行きつく。この国の多数派はビルマ族だが、シャン族やカレン族を始め100余りの民族が存在する。英国は少数民族であるカレン族にビルマ族を支配させる統治構造を採った。ビルマ族は少数民族に深く恨みを抱き捲土(けんど)重来を期した。ビルマ独立によってビルマ族が主導権を握ると、彼らの少数民族への復讐が始まった。

このような国家では、宗教と軍隊が統治に力を発揮することが多い。ミャンマーでは上座部仏教と国軍である。とくに国軍は国内の最も優秀な人材を集めた。半面、官僚を軽視したため公務員のレベルは他国に比べて低かった。頭脳と実効力をもつ国軍が、自益的かつ独裁的な支配を開始した。ビルマ式社会主義であり鎖国的政策だ。これがこの国に大きな停滞をもたらした。

学生や民衆は何回も民主化と反軍事政権を叫んで立ち上がったが、すべて国軍に鎮圧され、そのたびに締め付けが強くなるばかりであった。民主派のアイコンであるスーチー氏は軟禁され、欧米諸国はミャンマーを制裁対象に指定した。

だが、テイン・セインが政権を握ると大きく近代化、民主化に向けてかじを切る。軍人出身ながら彼は開明的だった。スーチー氏との折り合いも好転した。外資が雪崩を打ったように流れ込み、国中でインフラ整備や工業団地建設が始まった。

外資の先端に日本がいた。ミャンマーとは歴史的に深い縁がある。スーチー氏の父親であるアウン・サン将軍を助けて独立への道筋をつけたのも日本だった。もちろん、当時の日本の思惑と行動が、反日感情を引き起こした事実も忘れてはならないが。

日本にとってのミャンマーは、経済的な大きな意義とともに国家安全保障の観点からも非常に重要である。その昔、連合軍の援蒋ルートが置かれたことで明らかなように、膨張拡大志向が強い中国をけん制するため、地政学的に枢要な位置を占める。ミャンマーは多角的に見て、日本の「チャイナ・プラスワン」である。
次ページ > アジア流説得術の必要性

文=川村雄介

この記事は 「Forbes JAPAN No.083 2021年7月号(2021/5/25発売)」に掲載されています。 定期購読はこちら >>

タグ:

連載

川村雄介の飛耳長目

ForbesBrandVoice

人気記事