現役の外交官の知人に、こうした場合の対応手段について聞いてみまた。知人は「何もしないというのが最悪。そんなことをすれば、間違いなく責任を問われます」と語ったうえ、「方法は二つある」と言った。ひとつは、現実に起きたように記者会見をボイコットするというやり方。そして、もうひとつは会見には出る一方で、裏側で強硬な申し入れを行い、非公式に韓国側から「3カ国協議の直前にこんなことが起きて遺憾だった」と言わせるやり方だという。知人は「でも、2番目のやり方は、政治家に理解してもらうまで時間がかかります。下手をすると、それまでに更迭されてしまうかもしれません」と話した。
外務省の知人たちが一様に恐れているのは、与党特に自民党からつるし上げを食らうことだ。党の部会などに出席すれば、「外務省は何をやっているんだ」「そんな弱腰でどうする」「外務省じゃなくて害務省だ」と散々に罵倒される。昔は、助け舟を出す政治家も少しはいたが、今はただ、黙ってみているだけなのだという。知人は「与党は味方という考えは、今では通じません」と打ち明ける。実際、政治家ににらまれたという理由だけで、実力があるにもかかわらず、突然出世コースを外れ、窓際に追い込まれたエリート外交官を数多く目の当たりにしてきた。
「記者会見に出席せよ」「外交の知恵を絞るときだ」と格好よく言うことは簡単だが、外交官たちから「じゃあ、あなたが、私の生活の面倒をみてくれるんですか」と言われたら、返す言葉がない。
かつては、戦前の1940年に締結された日独伊三国同盟を巡り、海軍省の米内光政大臣、山本五十六次官、井上成美軍務局長が強硬に反対の論陣を張った例がある。3人は身の危険を感じながら、自らの主張を貫こうとしたとされる。
先述の外務省元高官に、「山本五十六たちのようなことを、今の外交官の人に求めたら可哀そうですか」と聞いてみた「今、あの時代のようなことを求めるのは酷だろう」と即答された。第一、外交官の地位が守られていない。また、SNSなどの発達でだれもが意見を言える世の中になり、外交官どころか、政治家も世の中のエリートではなくなっているからだ。
元幹部はこう語った。「欧州では従来、政治家や外交官を、良い意味で貴族的な存在としてみる文化があり、共感や信頼を得ていた。日本はそういう土壌がない。戦前や戦後の一時期に、欧州のような雰囲気もあったが、財閥解体や一億総中流などで薄れ、SNSにとどめを刺された。政治家だって強硬な主張をしなければ、落選する。外交官だけ悪い、政治家だけが悪いという問題ではない。要はポピュリズムが日本を覆っているのだ」
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