EY
Entrepreneur
Of The Year
2021 Japan
2021 Finalist Interview
アントレプレナーたちの熱源
#09
株式会社 会津工場
代表取締役社長
鈴木 直記
燃える会津魂を鋳物に注ぎ込む技術者社長
福島の豪雪地帯で
世界でも唯一の鋳造を可能に
福島県の西南に位置し、面積の94%を森林が占める南会津郡只見町。日本でも屈指の豪雪地帯とされるこの場所に根を張り、薄肉軽量で高精度の鉄鋳物を開発・量産しているのが会津工場だ。設立は、1977年。もともとは、千葉で鋳物を手がける内外マリアブルの会津工場として75年に操業を開始し、77年の独立時に親会社の名前が取れて現在の社名になった。代表取締役社長の鈴木直記は、地元の高校を卒業後、創業したばかりの同社に就職している。いわゆる叩き上げの技術者と言えよう。
「私たちは他に類を見ない独自の“Hプロセス工法”で、世界でも唯一の鋳造を可能としています。この工法は1981年にイギリスで開発されたもので、82年に専用実施権の契約を結んで以来、遠く日本の会津で磨かれ続け、独自の進化を遂げてきました」
Hプロセス工法は「Horizontal Controlled Flow Pouring Process」を正式名称とする。鋳物を水平に複数個連結させて鋳造する工法と言ってしまえば簡単に聞こえるが、複雑で高度な制御を要するために、安定した量産体制を築くのが非常に難しいとされる。
その証拠に、もともとHプロセス工法を開発したイギリスの会社でさえも量産化にこぎ着くことができずに断念したという。
「最初は失敗作の山が築かれるばかりで、トライ&エラーの繰り返しでした。8割が不良品という有り様で、採算ベースに乗せることが難しかったのです。これまでになかった新しい鋳造技術なので、金型の製作を外注するにしても細かなニュアンスが伝わらないといった問題が次々と発生しました。新たな工場を設けて金型製作から自社で行う体制を整えるなど、数々の改革・改善・改良を加えた結果、ようやく1990年ごろになって品質が安定したのです」
たっぷりとした肉厚形状でしか造れず、無駄な肉は後加工で削り落とすしかない。これが一般的な工法による鋳物製品だ。ところが、Hプロセス工法による鋳物は、最初から薄肉軽量で寸法精度に優れたものが仕上がってくる。材料費が安く済み、後加工の手間も省けるので、製造リードタイムやコスト面でのメリットも大きい。
Hプロセス工法を軸とした金型製作から切削加工までの社内一貫体制により、会津工場は他社では成し得ない品質保証を実現した。
会津魂を鋳物に注ぎ込み、世界でもここだけの製品を生み出してきました。あらゆる面で他を圧倒できる「Hプロセス工法」を武器に、「勝手に試作」という攻めの営業で事業を拡大しています。──会津工場
代表取締役社長 鈴木 直記
勝手に試作を発案し、
数々の成果を挙げる
いいものを造る技術さえあれば、黙っていても業績は上がる。そう考えるほど、鈴木は控えめな男ではない。何よりも、自分たちの技術に自信があった。
「2000年代に入り、私たちは“勝手に試作”という取り組みをはじめました。メーカーから鋳造製品の図面をもらって見積もりを依頼された際、ただ単に金額を提示するだけではなく、“会津工場が造れば、こうなりますよ”ということで仕様に改良を加えた現物を見せるようにしたのです」
この勝手に試作のプロジェクトチームを立ち上げたのは鈴木であり、日本の自動車メーカーで使われる部品の大型受注を取り付けるといった見事な成果を挙げてきた。
「スポーツタイプ車のマニュアルトランスミッションに使用する部品です。従来の部品は4つのパーツを溶接しており、製造にかかる工数やコストから耐久性に至るまで優れているとはいえないものでした。Hプロセス鋳造による一体化で、私たちはすべての課題をクリアしたのです」
鈴木は31歳で設計開発部長、38歳で営業部長、42歳で経理部長、45歳で工場長を務め、各部門で結果を残してきた。Hプロセス工法の技術進展とともに目覚ましいキャリアを積み重ねてきた彼は、2010年1月に48歳で社長となった。だが、リーマンショックの影響で、09年の売上げが前年比で80%減になるという大逆風のなかでの就任だった。
「2011年には東日本大震災があって受注数が落ちましたし、私の社長業のスタートは順風満帆とはいえないものでした。ですが、こんなときこそ攻めの姿勢が大事だと信じて、震災復興の補助金も活用して新工場の建設を決断しました。私たちの強みであるHプロセス工法と勝手に試作を武器にして、営業活動にもさらに力を入れました」
社長となった鈴木による攻めの姿勢は、功を奏した。躍進の具体例には事欠かないが、前述したのとは別の自動車メーカーからの受注を挙げておこう。系列会社によるエンジン部品を使うのが既定路線となっていたところ、会津工場の技術力が土壇場で高く評価されて鮮やかな逆転劇を果たしたのだ。その系列会社の役員は、会津工場が手がけた部品を見た際に「これは、俺たちにはつくれない」とつぶやいたという。
鈴木が手にしているのは、スバルのインプレッサなどでマニュアルトランスミッションに使われている部品。「勝手に試作」の大いなる成果だ。
会津育ちのガラパゴス鋳物、
世界に躍り出る
働き方改革が叫ばれる現代ではノスタルジックなスタイルとなったが、鈴木は20代前半には1日の労働時間が18時間で3ヶ月間休みなしといったスケジュールで仕事をしてきた。その当時から積み重ねてきた知識と経験はもちろん、現在の彼のなかには何よりも桁違いの熱源があるのではないだろうか。
「この地に残る者には、覚悟が必要なのです。都会に出る者よりも強い覚悟をもって、冬になると雪に閉ざされる過疎地で暮らし続けています。そうした強い郷土愛が企業を動かす大きな力になっていると感じます」
なぜ、南会津郡只見町という場所で、世界でも唯一のHプロセス工法が育ったのか。鈴木は、この土地に生きる者の精神性にも答えがあると教えてくれた。
「寡黙に、忍耐強く、何かをつくり続けるという古くからの文化がありますからね」
南会津には伝統工芸や地場産品も多い。土地の言葉では、手仕事のことを「手わっさ」と呼ぶ。厳しい自然環境のなかで、手わっさを尊ぶ人々が、何世代にもわたって独自のものづくり文化を育んできた。イギリスで生まれたHプロセス工法は、そうしたDNAが息づく会津に持ち込まれたことにより、ブレイクスルーポイントを迎えたのだ。
「私は、会津工場の製品に“ガラパゴス鋳物”という愛称を付けています。この土地がガラパゴス諸島のように閉ざされた環境になる場所だったからこそ、世界のどこにも見られない独自の進化を遂げていったのだと考えています」
会津魂と独自の技術進化論。深くて濃い進化は、ものづくりに情熱を注ぐ会津人の「意地とプライドの結晶」と言えるだろう。
社長就任と同時に、鈴木は「会津から世界を目指す」というスローガンを掲げている。当時は30人だった社員が、現在では150人を超えた。いま、会津で育ってきたガラパゴス鋳物は、さらなる躍進のときを迎えている。
「私たちはエンジンの主要部品などで業績を伸ばしてきましたが、これからはよりいっそうの自己改革が必要です。コロナ禍になる前にはドイツやフランスの鋳物メーカーを視察するなど、各地の事例も学んできました。現在、グローバルで見ると鋳物の生産量は伸び続けています。大きな製造拠点となっているのは、インドと中国です。そこに私たちのHプロセス工法をもっていけば、間違いなくヒットするでしょう。実はインドの鋳造メーカーに私たちは出資をしていて、インドのスタッフに会津の地で研修を行なってもらう計画が進んでいます。また、半導体やロボットの業界でも私たちの技術がお役に立てるのではないかということで、アタックをかけています。私たちが造れば、もっといいものができるという自信がありますからね。すでに、いくつかのプロジェクトが進行しているところです」
会津魂が世界を席巻する日は近い。
福島県南会津地区は、日本でも有数の豪雪地帯で、典型的な過疎地でもあります。
そこに暮らす人間の強烈な郷土愛が、企業を、事業を動かしています。
1961年生まれ、福島県会津地方出身。1979年4月株式会社会津工場へ入社し、1983年よりHプロセス工法の開発に携わった。Hプロセス工法を確立する為切削加工、金型製作部門を立上げ、1994年に取締役金型切削部長就任した。その後拡販の為取締役営業部長、総務部長、取締役工場長を兼務し2010年代表取締役に就任した。関連会社の内外マリアブル㈱、遠藤工業(有)の代表取締役も兼務している。
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Text by Kiyoto Kuniryo|
Photographs by Masahiro Miki|
Edit by Yasumasa Akashi