最後に、ガーデニングという貴族発祥の文化と、緑化・灌漑という環境整備の対比。これは、同じ価値観を有しながらも、生き方の違うメアリーとクリスティの間の葛藤として現れる。
作庭の協力者を求めて最初にメアリーが訪ねていくのは、アイルランドのコークにある農場フューチャーフォレスト。そこで共同体をつくるディープ・エコロジストたちの長が、クリスティの父だ。この一連の場面は、メアリーの理想とする自然の庭でさえつくられた自然ではないか、本当に自然と共に生きることはどういうことか?を問いかける。
そして、フラワーショウという、華美で人目を引く催しに批判的なクリスティと、自分の庭を通して人々の意識を変えたいと訴えるメアリーのずれが浮かび上がってくる。
メアリーがクリスティを追いかけてエチオピアに渡って以降の展開は、意外にも長い。作庭の準備期間が1ヵ月を切っているのに大丈夫かと、見ている方ははらはらする。
アフリカに緑を取り戻すことで砂漠化を止め、災害を防ぎ、人々の生活水準を上げようと尽力しているクリスティは、さしずめアフガニスタンで活動した中村哲医師のような存在だ。
強い日差しを避けるために白いストールをまとった人々と同じ格好で、乾燥しきったエチオピアの大地を歩き回り、クリスティたちの労働にも参加するメアリー。
『フラワーショウ!』DVD発売中/発売元:『フラワーショウ!』上映委員会 販売元:TCエンタテインメント(c)2014 Crow’s Nest Productions
ここでの緑は、生きていくのに必要なものである。しかしそれが先進国の豊かな人々の間では、癒しの文化やスピリチュアルなものの代名詞として使われる。
メアリーはクリスティへの期待と失望の間で揺れ動きながら、自分の価値観を確かめ直す。夢の実現の前に訪れる試練の時をしっかりと描いたこのエチオピアでの展開は、ドラマに骨太な深みを与えている。
クリスティとメアリーの気持ちがやっと通い合う場面に続いて、エチオピアの荒地に木々が生えてくる情景をメアリーが幻視するシーンは、このドラマの中でもっともスピリチュアルな雰囲気に満ちている。
そもそも冒頭で幼いメアリーが1人で辿りつくのはアイルランドの荒地にあるストーンヘンジであり、そこから受けた霊感は彼女のガーデン・デザインに色濃く反映されていた。フューチャーフォレストの人々の描き方もスピリチュアルだし、メアリーの視線を通して描かれるすべての草木は精神世界と強く結びついているように見える。
スピリチュアルというとどこか怪しげなイメージもつきまとうが、自然に霊性を見出し謙虚に学ぶ姿勢こそが、メアリーとクリスティを結びつけたものだろう。
時間との勝負になった作庭の追い込みシーンはドラマチックだ。ショーの隣の区画で薬草の庭をつくったチャールズ皇太子が、間違ってメアリーの庭に迷い込むシーンが微笑ましい。
「人に見せる空間」というよりは「自分の居場所」としてつくられているメアリーの庭。それは、贅を凝らし華やかさと新奇性を求める傾向のあったそれまでのフラワーショウ、ひいては社会のあり方や現代人の生活様式に馴致されまいとする、1つの小さな意志の現れだ。
連載:シネマの女は最後に微笑む
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