スノーピークのアパレル事業、2021 Autumn & Winter Season Look Bookより
もしかすると、自分はアウトドアとファッションの架け橋になれるのではないか──。
そんな想いを抱いた山井は、早速アウトドアウェアの製作を始める。しかし、ファッション業界とアウトドア業界が互いに相容れない空気の中で、彼女の活動はなかなか好機を見出せなかった。
「日本がダメなら、海外に行くしかない」。そう決意を固めた山井は、ニューヨークの展示会にコレクションを出展。するとスノーピークのブースには信じられないような人だかりが生まれ、「こういう服がほしかったんだ!」と、複数のアメリカ人バイヤーから歓喜の声が上がったという。
こうして、スノーピークのアウトドアウェアがアメリカで取り扱われるようになると、日本での販売も続々と決定。目標に掲げていた1億円という売上金額を、山井はたった1シーズンで達成した。
「自分がつくりたいものの価値を信じる力、やりたいことに対する信念がものすごく強かったからこそ、アメリカに持っていくという判断ができた。ファッション性を伴ったアウトドアのアパレル事業というカテゴリーを切り開いた、大きなターニングポイントになりました」
経営者とデザイナーの仕事は、本質的に同じ
ファッション業界とアウトドア業界の間にある障壁を乗り越え、アパレル事業の責任者として一事を成した山井。彼女が次に経験することになる“Beyond”は、経営者への転身だった。
社長になる前の2019年、山井は数々の新規事業を立ち上げていた。
「『洋服が必要なら、キャンプに関わる食も必要だよね』『キャンプ場だけじゃなくて、家でも自然とともに過ごせる環境が必要だよね』、そんなふうに考えていくうちに、新規事業がどんどん立ち上がっていきました。それまでは、自分の価値提供できる手段はアパレルだけでしたが、スノーピークに関わる物作り全般に広がっていったんです」
開業10周年を機に新潟本社の敷地を約5万坪から約15万坪へと拡張した(Snow Peak LIFE EXPO 2021にて/撮影:コヤナギユウ)
それができたのは、「目的と手段に対するこだわりが強いから」だと、山井は考えている。
「『人間性の回復』というスノーピークの使命は、アパレル事業だけで実現できるものではありません。自分が価値提供できる範囲を限定しないほうが、スノーピークの未来を広げることにもつながるはず。そう腑に落ちた瞬間があったので、社長になる決意ができました」
ある領域のプロフェッショナルだった人が自身の領域を変えたり広げたりすることは、決して簡単にできることではないだろう。いくら会社のためとはいえ、アパレルという枠から飛び出すことに、迷いや抵抗はなかったのだろうか。
「もちろんデザインの仕事は好きだったので、このままアパレル事業を中心になって続けたい気持ちはありました。でも、あるとき、『経営ってデザインと一緒だな』と気づいたんです。デザイナーの仕事は、服をデザインすること。経営者の仕事は、事業や組織をデザインすること。経営者になるといっても、デザインする対象が洋服ではなくなるだけの話です。
自分はもともとファッション業界にいたからこそ、今までやってきた仕事を自然と経営に置き換えられたのだと思います」