──最初は「コンサル的に関わろうと思っていた」という考えが変わり、会社を継ぐ決意が固まったのはなぜですか?(転機3)
想像以上にポテンシャルのある会社だとわかったからです。それは商品だけでなく、働いている人たちに対してもそう思いました。社員はきわめて道徳的なものの考え方をする人ばかりなんです。
例えば、打ち合わせ中に「協力会社さんに値引きを頼んではいけない」という意見が社員から出てくる。家庭の事情で急に仕事に来られなくなった社員がいても、その人に対してネガティブなことを言う人は1人もいないんです。
なぜ、みなモラルに則った行動を自然とできるんだろうと考えてみると、それは親父が続けてきた道徳の社員教育の成果だと気づきました。親父は自分が入社する前から何十年にもわたって、毎月、全社員を集めて道徳の勉強をしていたんです。このような文化は簡単に築けるものではないはずなので、親父のことはすごく尊敬していますし、自分が守っていかなければならないと強く感じています。
若い頃の三代目社長
正直、家業に入る前は、自分たちのほうが高いレベルの経営をしていると思っていました。前職の方が規模はずっと大きかったですし、最先端のことをしているという自負もありましたから。でも、会社経営において本当に大事なのはそこではなくて、働いている人たちが幸せでいることなんだと気づかされました。
──木村石鹸の社長として、今後はどんなことに挑戦していきたいですか。
自分自身がやりたいことを打ち出すというよりも、社員がやりたいことを実現できる環境を整えていきたいと考えています。いま働いているのは20代がいちばん多いんです。昔は開発や製造などの職種がメインでしたが、いまは若手を中心に企画やマーケティングに携わる人が増え、社内も多様性が増しています。
自分は社内でよく、アポロ計画の話をするんです。月面着陸のプロジェクトに携わったメンバーの平均年齢は27歳でしたが、この偉業は若手だけで成し遂げられたわけではなく、バックにはそのメンバーを支えるベテランのプログラムディレクターがいたんだと。若い人は新しいことにどんどんチャレンジして、ベテランはそのパフォーマンスが最大化されるようにサポートをする。そんなチームが、いまできつつあります。
社員たちとキャンプイベントに出展した時
木村石鹸が今日あるのは、親父が本気で人を信じていたからなんだろうなと思うんです。親父が社員の人たちを信用して育ててきたから、いまの木村石鹸がある。そして、親父が自分を信用しくれたから僕もこうして社長ができている。
「人を信じる」ということを続けていると、その気持ちに応えようとしてくれる人が必ず出てきます。自分も親父と同じように、社員を信じる気持ちを持ち続けたいと思っています。
木村祥一郎(きむら・しょういちろう)◎1972年、大阪府八尾市生まれ。同志社大学在学中の1995年、映画サークルの仲間とIT企業ジャパンサーチエンジン(現イー・エージェンシー)を起業。副社長として東京と京都を往き来し、インターネット検索エンジンの開発やウェブサイトの制作などを手がける。2013年、家業の木村石鹸工業に入社。2016年、代表取締役社長に就任。