ビジネス

2021.10.01 12:30

IT起業家から石鹸工業へ。木村社長が「人を信じる」経営で手に入れたもの


──クリエイティブな世界に憧れていた青年が、なぜIT業界で起業することになったのでしょう?(転機1)

大学3年生の時に、先輩から電話がかかってきたんです。「インターネットっていうすごいものがあるんだけど、知ってる?」って。僕の家にコンピューターがあるのを先輩は知っていたんですね。

そこで翌日、2人で機材を買いに行って、初めて接続しました。国内外のいろいろなホームページを見て、「これは世界が変わる」とものすごく感動したのを覚えています。

特に印象的だったのは、イギリスのとある大学の研究室のホームページでした。そこには研究室内のコーヒーメーカーの状況が映し出されていて、コーヒーがなくなりそうになると、誰かが「減っているぞ!」と書き込んでいた。インターネットを通じて人々がリアルタイムでコミュニケーションをしているのは、衝撃的な光景でした。先輩から起業を誘われたのもその頃です。

そのときの自分は、家業も継ぎたくなければ、会社員になるのも気が重い。他人に決められた人生は嫌だったから、起業するしか道がなかった。社会を変えようとか、大きなビジョンがあったわけではありません。「自分たちの居場所がほしい」という感覚のほうが強かったですね。

──その後、18年間、IT関連の会社を経営していました。どんな時間でしたか?

大学の仲間、社会人経験のないメンバーで創業したのもあって、めちゃめちゃ大変でしたよ。「DRAGON」という検索エンジンを提供していたのですが、すぐにヤフーやグーグルが日本にやってきて事業が立ち行かなくなり、ウェブの制作事業に転換しました。その後も事業のピボットを繰り返して、30歳のときには、市場拡大を狙って海外の会社と合弁会社をつくりましたが、大失敗してどん底を味わいました。

でも、総じてすごく面白かったです。創業メンバーとも「いい会社って、一緒に働いていて楽しい仲間と働ける会社だよね」と話していて、人間関係で悩むことはほとんどなかったですね。大学のサークル活動の延長のような感じでした。

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前職時代の木村社長

──41歳のときに家業に戻ったのは、どのような経緯だったのでしょうか?(転機2)

親父が持病で倒れたことがきっかけです。社内でも後継者問題が浮上していましたが、自分が戻ったところで快く受け入れられるはずがないと思っていました。家業への関心を完全に失っていたので、「石鹸のことをよく知らない奴が帰ってきて」と思われても当然の状況だったんです。

だから、これからはいままでのように楽しく働けないと覚悟して、仕事は仕事と割り切ってやろうという諦めもありました。正直な話、「コンサル的に関わって、数年で会社を立て直したら身を引こう」くらいに考えていたんです。

──その考えが変化したきっかけは?

入社して1年も経たないうちに、「面白いことをやっている会社だな」と気づきました。自分はIT業界にいたので、もちろん、子どものときから見てはいましたが、実際にモノがつくられる現場を知らなかった。当時は業務用製品の生産が中心でしたが、生活用品もつくるようになっていたので、「店舗で売られる商品をこんな風に最後までつくれるんだ」という純粋な驚きがありました。

もう1つ想定外だったのは、働いている人たちがものすごく良い人たちばかりだったこと。ベテラン社員も含めて、自分が戻ることに対してウェルカムな雰囲気だったんです。なぜかというと、みんな親父を信用しているから。その期待を自分に向けてくれたのはすごくありがたかったですね。

──石鹸づくりはゼロから勉強したのですか?

いや、僕は、石鹸はつくれないんですよ。社員に「泡がこういう状態だとこうで」と説明してもらっても、全然わからない(笑)。だからこそ、熟練した技術を持つ社員のことはとてもリスペクトしています。

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釜焚き製法での石鹸づくりの様子

石鹸づくりの工程は、外から来た自分の目にはとても新鮮に映りましたが、社員たちはそれをあまり表に出したがっていませんでした。こんな非効率なことをやっているのは恥ずかしい、できるなら辞めたいという雰囲気すらあった。

でも、僕はその工程を見せることによって、木村石鹸の良さを正確に伝えられると思ったので、石鹸をつくっている現場を撮影し、ホームページを早速リニューアルアルしました。2020年に三重県伊賀市でオープンした新工場「IGA STUDIO PROJECT」でも、あえて製造の裏側を見てもらえるようにしたのも、同じ狙いです。
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文=一本麻衣 編集=松崎美和子

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