3つ目に、「患者への対応」がある。これはスタッフ同士、また患者・スタッフ間の課題でもあった。20000㎡もある広大な病棟では、スタッフ間のコミュニケーションがカギとなる。防護服を着ている場合、不審者や部外者の特定が容易ではない。コミュニケーションを取るのもひと苦労だった。
患者へのケアという点では、プライバシーの問題もあった。照明の明るさや、気温の問題もあった。患者にとってはもちろん、防護服を着用した医療スタッフにとっても心身ともに大きな負担となる。やがて、家族と面会できるようにした。患者の不安を少しでも和らげるためには必要だと判断したからだ。患者が家族と一緒にテレビを見たり、一緒に食事できたりする区画も整備。精神科医やセラピストなど、患者の心のケアができる専門家も動員した。
4つ目に、「政府との連携」が挙げられる。OECD(経済協力開発機構)の調べでは、イスラエルはヘルスケアにGDPの7.5%しか費やしていない。人口1000人当たり1.7床で、病院は常に満床だ。医師や看護師といった医療従事者の数も決して多くはない。肝心のイスラエル政府も問題を抱えていた。与党が組閣に失敗したため、2年間で選挙が4度も行われるという異常事態にあった。その結果、予算がつかなかったのだ。
イスラエルの病院の多くがそうであるように、ランバン病院も政府系の医療施設ということもあり、それなりの長所と短所があった、とハルバーソルは明かす。機材に関しては十分な支援を得たものの、人事は思うようにいかなかった。スタッフの採用には政府の承認が必要で、病院の一存では決められないからである。その代わり、政府系であるがゆえに実現したことがあった。第2波と第3波の段階で、ランバン病院はイスラエル国防軍(IDF)と協働し、ハルバーソル院長の指揮下で病棟の一つをIDFが運営したという。軍隊が民間の指揮下に入るという極めて特殊な状況だ。
18歳以上の男女に兵役義務があるイスラエルでは、民間と軍隊のつながりは強い。軍のサイバー専門部隊「8200部隊」から多くのテクノロジー系起業家が生まれている話は、スタートアップ界隈ではすっかりおなじみだ。それでも、この試みは斬新だったと院長は語る。事実、1950年の創設以来、軍隊であるIDFがイスラエルの患者を国内の民間病院で治療するのは初めてだという。
11年3月11日の東日本大震災に宮城県南三陸町で野外クリニックを開設したように、海外へ派遣されたことはあるが、政府系とはいえ、IDFが民間病院で民間人を治療するのは同国史上初めてのケースだった(編集部註:東日本大地震の際、イスラエルはIDFの医師や看護師らで構成される50人規模の医療部隊を派遣、被災者の治療や支援活動を行っている。各国からの医療部隊の支援としては一番乗りだった)。