高峰譲吉の「麹ウイスキー」、130年の時を経て実現

イメージ(Jay's photo / Getty Images)

世界の料理人や飲み物通の間では近年、「コージ(麹)」がキーワードになっている。麹はその強力な酵素の働きによって、味噌や醤油をはじめ、さまざまな日本の食材の旨味を高めるのに使われる微生物だ。

麹は長年、サケ(日本酒)やショーチュー(焼酎)など、日本の伝統的なアルコール飲料をつくるためにも用いられてきた。けれど、それ以外の種類の製造ではあまり活用されてこなかった。なぜそうしないのだろう?

19世紀末、同じ疑問をいだいたのが、日本人の科学者ジョーキチ・タカミネ(高峰譲吉)博士である。彼は、麹をウイスキーづくりにも活用することに取り組み、アメリカで商品化目前のところまでこぎ着けていた。もし実現していれば、アメリカンウイスキーは今とはかなり違ったものになっていたかもしれない。

それから130年後。彼の夢だった事業はよみがえり、「タカミネ・ウイスキー8年」として結実した。このウィスキーは今年の「サンフランシスコ・ワイン&スピリッツ・コンペティション」で金賞に選ばれている。

母親が造り酒屋の家系だった高峰は、麹による発酵について深い知識をもっていた。スコットランドの大学に留学した高峰は、モルト(麦芽)を使った発酵よりも麹を使った発酵のほうが効率がよいことを発見。その後、麹を使ったウイスキーの製造方法を開発し、カナダやフランス、ベルギーなど外国でも特許を取得する。

1890年、高峰はアメリカのイリノイ・ウイスキー・トラストに招かれ、自身の技術の商用化に向けた実験を始めた。小麦ふすまを麹として用いる新手法は生産コストを12〜15パーセント削減すると見込まれていた。

イリノイ・ウイスキー・トラストの本拠地があったイリノイ州ピオリア一帯には当時、12の蒸留所があり、同トラストはアメリカのウイスキー生産の95%を占めていた。高峰の発明はモルト労働者や、モルト工場に投資していたオーナーにとって大きな脅威に映ったようだ。

1891年秋のある晩、彼らは武装して高峰の蒸留施設に押し入り、彼を殺害しようとした。高峰は地下室に隠れてなんとか難を逃れたものの、施設は全焼した。翌年、トラスト自体も反対勢力によって解散させられ、高峰の事業は歴史に埋もれることになった。

高峰の遺志を実現したのは、200数十年にわたって麹を使った酒類などを製造してきた福岡の老舗蔵元、篠崎である。タカミネ・ウイスキー8年は100%大麦を用い、9割をアメリカンオークの新樽、1割をバーボンの旧樽で熟成させたという。
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編集=江戸伸禎

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