合図と共に、持ち上げたアンティークのお皿をそっと台座の真ん中へ据える。と同時に闇が視界を包み、まるで顕微鏡を覗いた時のように、折り重なる真紅の細胞が浮かび上がった。
ああ、果物は細胞の集まりであり、いのちなのだ。そういえば、確固たる「わたし」が存在しているように錯覚するけれども、所詮は人間も、細胞の集まりにすぎない。
薄切りに並ぶソルダムの断面がもたらす情動。「kominasamako(コミナセマコ)」の駒瀨奈美子さんのデザートから受け取る「気づき」は深く、心の奥底を揺さぶる。
感情を呼び覚ます「食べるアート」
東京の紹介制デザートレストランが、期間限定で京都のパークハイアットで5万5000円のデザートコースを提供する。そんなニュースが流れるや、13日間にわたるフェアの席はあっという間に完売したという。その一席を、特別にとっておいていただき、参加する僥倖を得た。北海道や東京から訪れたファンは、年代も職業も様々。共通するのは、駒瀨さんの世界観に心底惚れ込んでいることだろう。
旬の「桃」にフォーカスしたノンアルコールペアリング付きの7皿のデザートコース。カウンター8席のみ、2時間あまりのコースをいただいた感想は、味や香り、見た目はもちろん、食器の形や温度、手触り感などの全てが共鳴し、まさに感情を呼び覚ます「食べるアート」だった。しかし、駒瀨さんは「アーティスト」と呼ばれることを嫌う。
「わたしはパティシエールです」
自分のことをアーティストだと思いますか、と尋ねると、控えめな声で、でもキッパリとした答えが返ってきた。メディアには決して顔を出さず、自身について多くを語らない。そんな謎のヴェールに包まれた駒瀨さんのインタビューを織り交ぜつつ、このコースの一端を紹介していこう。
「小さい頃から食いしん坊な子どもでした。生まれも育ちも田舎。土地がたくさんあったので、祖母が色々な園芸作物を育ててくれ、当然果物も身近な存在でした。兄弟も多かったので、例えば苺の季節にはみんなで競争しながら苺を摘んだり、太陽の日差しであたたかいままの苺を畑でこっそり食べたり。祖母が手を掛ける畑へ、ついていってはそこで自然と戯れて遊んでいました」
種から芽が出て、やがて木になり花が咲いて実が実る。食べごろの時期だけスーパーに並ぶ「果物」としての顔ではなく、まるごとの「植物の一生」をつぶさに見てきた。それが、原点にある。