アフガニスタン撤収作戦が日本に突きつけたもの

ハミド・カルザイ国際空港周辺の検問所で見張りをするタリバンのメンバー(アフガニスタン・カブール、8月28日)(Photo by Haroon Sabawoon/Anadolu Agency via Getty Images)

アフガニスタンのガニ政権崩壊を受け、各国による撤収作戦が展開された。日本の自衛隊機による撤収作戦は残念ながら、当初期待された成果を得られずにいる。関係者の証言をたどると、政治家も防衛省も外務省も、自分たちに与えられたベストの仕事を果たそうとしたことがわかる。では、なぜ思い描いた成果が得られないのか。今、この問題を解き明かさなければ、台湾や朝鮮半島で起きうる次の事態に対処できなくなる。

ガニ大統領が国外に逃亡し、イスラム主義勢力タリバンが首都カブールを制圧したのは8月15日。政府関係者によれば、十数人の日本大使館員は17日、英国軍機でアフガニスタン国外に脱出した。その際、アフガニスタンに残っていた数人の日本人には脱出を勧めたが、いずれも「アフガンに残る」という返答だった。

この時点で、日本政府は大使館や国際協力機構(JICA)で働いていたアフガニスタン人職員やその家族ら600人弱を見捨てていたわけではなかった。次のミッションとして彼らをアフガニスタンから出国させる動きが始まっていた。ただ、移送手段としては米軍機に同乗させてもらう、という方法が最有力視されていた。

岸信夫防衛相は20日の記者会見で「現地の治安情勢が急激に悪化した。関係国の軍用機で退避するのが最も迅速な手段だということを踏まえた」と語り、自衛隊機の派遣は難しいとの認識を示した。

だが、自民党の外交部会や国防部会で、自衛隊機の派遣を求める声が強まった。政府関係者の1人は「岸防衛相の発言直後の週末(21~22日)に、自衛隊機派遣に方針が変わった」と語る。政府は23日午前、国家安全保障会議で、緊急事態の際に日本人や外国人の輸送を定める自衛隊法84条の4に基づき、派遣を正式に決定。岸防衛相が自衛隊機3機の派遣を命令した。

C2輸送機は25日までに、C130輸送機2機も26日までにカブールにそれぞれ到着。アフガニスタンの日本大使館員の一部も現地に戻り、米軍やタリバンと交渉を続けた。26日夜までに、出国希望者らがチャーターバスに分乗し、空港に向けて出発できるところまでこぎ着けた。

しかし、同夜、空港近くで自爆テロによる爆発が発生し、この日の移送を断念せざるをえなくなった。米軍は31日までの完全撤収を目指していたため、外国軍用機の28日以降の空港利用を認めないと通告していた。このため、自衛隊機や日本政府関係者は28日までにカブールを撤収。今後は遠隔操作で、残るアフガニスタン人職員や家族らの出国を目指すしかない状況に至ったという。

一方、アフガニスタン人職員や家族ら400人弱の移送に成功した韓国の場合、自衛隊の先遣隊がカブール入りした時には、すでに現地調整を始めていた。カブールの空港からパキスタン・イスラマバードへのピストン輸送は24日から25日にかけて、行われていた。なぜ、韓国にできて私たちにできなかったのか、と責めるのはたやすい。しかし、政府関係者らの行動にはきちんとした理由と根拠があった。
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文=牧野愛博

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