ビジネス

2021.08.02 08:00

シェアなどない。市場は自分で切り開け

「コロナ禍で銀座の中央通りから人が消えたのを見て、不安というよりも奮起したんですよね。暗転か好転かはわからないけど、自分はいま歴史が転換する舞台の上に立っているんだなと」

銀座の目抜き通りにある商業ビルの一角。直営店で取材に応じたヤーマンの山﨑貴三代は、にぎわいを取り戻しつつある街の風景を見ながら、約1年前を振り返った。

ヤーマンは小売店に美顔器などを卸すほか、商業施設に10店舗の販売店を展開。営業自粛やインバウンド消失の影響は大きく、2021年4月期第3四半期は店販部門の売り上げが56億5,300万円で前年割れした。

しかし、コロナが同社にもたらしたのは暗転ではなく好転だった。巣ごもり消費で、ECなど直販部門の売り上げは95億3,200万円となり、前年同期比2.4倍に急拡大。店販の売り上げを抜いたのだ。

外出自粛&マスクで、化粧品の売り上げは落ちている。なぜ美容機器は売れたのか。分析はこうだ。

「日本人は真面目。ステイホームで時間ができたけど、家で楽しむことだけじゃなく、自分磨きにも投資をする。それで美顔器に手を伸ばした人が増えたのでは」

コロナは追い風になったが、風任せにしていたわけではない。ECや通販に加えて、コロナ前からやっていたインスタライブを発展させ、昨年9月にライブコマースを開始。直販チャネルを強化した。

このライブコマースには、山﨑の性格がよく表れている。一般にライブコマースはインフルエンサーを起用するケースが多いが、ヤーマンは主に社員が配信。スタジオも自社オフィスに急ごしらえで開設した。

「つくった人が『いいですよ』『こんな使い方があります』とアピールするのが本来の姿。インフルエンサーにお願いするのは違うと思う」

自分で自分の道を切り開く。それが山﨑の一貫した生き方だ。

徳島で育った山﨑は地方の暮らしに閉塞感を感じ、上京して女子大学に進学。まわりは専業主婦か教員志望ばかりだったが、自立して働く女性を目指した。

1983年、半導体検査装置や業務用美容機器の製造・輸入を手がけるヤーマンに入社。男女雇用機会均等法の施行前だったが、創業者はもともと男女に差をつけなかった。某メーカーに一緒に営業に行ったときのことを、山﨑はいまでもよく覚えている。

「受付にきれいな女性がいたんです。創業者はそれを見て『うちには人を黙って座らせておく余裕はない』と。おかげで私も若いときから何でもやらせてもらえました」
次ページ > シェアなんて発想はない

文=村上敬 写真=熊仁広之

この記事は 「Forbes JAPAN No.082 2021年6月号(2021/4/24発売)」に掲載されています。 定期購読はこちら >>

ForbesBrandVoice

人気記事