「みんな弾丸で帰っていったからか、淡路島のサービスエリアがほとんど静岡ナンバーの車で占められていたんです。そこで僕がトイレに入ったらサポーターの方々から呼び止められて、僕が真ん中に入って大勢で集合写真撮影ですよ。チームに関わる人たちの人生にどれだけ深く絡んでいけるのか。僕がスポーツビジネスに携わる一番の関心事がこれであり、何年がたとうとあの集合写真の光景をみんなが思い出すと考えると、サッカークラブの経営者をやっていて、これほど嬉しいと思ったことがなかったですよね」
そして現在、同じ思いが富山へも向けられている。
僕みたいな人間がもっと出てきてほしい
2014年シーズンにJ2から降格したカターレ富山はJ3で7年目。その間の最高位は2019シーズンの4位と、J2への昇格争いにもなかなか絡めない状況が続いてきた。
富山市民や県民との距離も開き、新型コロナウイルス禍で観客数の上限が定められていたとはいえ、昨シーズンの平均観客数はわずか1217人にとどまった。
富山は北陸電力をはじめとする主要株主から定期的に歴代社長を迎え入れてきた。しかし、同じやり方ではクラブの内外に漂っている閉塞感を打破できないという危機感が、初めてプロの経営者を招へいする決断に至った。
エスパルスからBリーグのベルテックス静岡で手腕を振るっていた左伴は、富山への顧問就任をへて、4月20日の定時株主総会および取締役で社長に就任。オファーを受諾した理由を「情熱のある迎え入れ、適切な権限、自分がいることの大義」の3点とした。
オファーを受けた段階で情熱はひしひしと感じていた。適切な権限は代表取締役の肩書きが物語る。大義の意味は、富山がJ2復帰を果たしたとき、経営規模もJ2の平均に追いつかせるという自分にしかできない改革だ。
「僕みたいな人間が後からどんどん出てきてほしいんです。クラブの中から正しい形で発展させて、地域の人々からもらう声で自分を満足させる人間を増やしたい。トップエグゼクティブがしっかりとプロスポーツを見なきゃいけないと僕は考えています。社長がビジョンメイクをして、経営に対してしっかりスタディをしないと、熱意あるスタッフがあまりにも可哀想じゃないですか」
僕みたいな人間、とは、つまりプロの経営者を意味する。しかも、複数のJクラブで社長を務めたケースが一人だけという状態が、やがては珍しくなくなってほしいとも願う。10月には66歳になる左伴は「この世界では年齢は関係ないですね」と笑う。
「年を取ったという感覚も、まだまだ若い者には負けないという気持ちも僕にはないんですよ。ただ、任されたクラブをいかに大きく、強くしていくかという、仕事だけではなくどのようにすれば多くの人々に認知してもらい、この町にあってよかったと思ってもらい、一緒に笑ったり泣いたりしてもらえるのかを一生懸命に考えていくには、もしかすると30代ではわからなかった答えが、60代になると町のそれぞれの世代の気持ちや機微がわかってくるのかもしれない。そういう仕事だと僕は考えています」
これまでに3チームをJ1へ昇格させた石崎信弘新監督のもとで、富山は首位に立って東京五輪開催に伴う長期中断に入った。4勝3分けと無敗が続く成績との相乗効果から、ホームの平均観客数も2476人へと倍増。3000人超えも2度マークしている。
今シーズン、彼らの「ハードワーク」はピッチ上だけに当てはまるものではない。左伴を含めた13人のスタッフはスポンサー営業、チケット販売、物販を全員が兼務しながら、文字通り一丸となって前へ進んでいく。