──ちなみに、ナラティブは時代や環境の変化とともに変わっていくものなのでしょうか。
ナラティブの舞台は社会ですから、世の中や価値観が変わればナラティブも変わるべきだと思います。例えば、今の時代、自動車産業だからといって自動車ばかりをつくっているわけではありませんよね。トヨタには創業以来受け継がれてきた「豊田綱領」という理念がありますが、「いつかはクラウン」と言われていた時代と今とでは、異なるナラティブが必要です。
どの時代にも普遍的なものを見極めながら、時代に合わせて自分たちの存在意義を認識しなければいけません。このように、変わっていく環境と普遍的なパーパスを行ったり来たりしながら紡いでいくのがナラティブであり、不確実性があるからこそ、その余白に共創が生まれるのです。
──余白が参画余地になるということですね。他に、「共創」に必要な要素にはどのようなものがありますか。
一つは「共感」です。かつて、企業は消費者に対して、成功や華やかな部分のみを見せていましたが、最近では、失敗や試行錯誤などもありのまま見せることで共感を得ています。ただ、今の時代は「共感」よりも「共体験」の方が消費者に刺さるように感じます。なぜなら、共感は一瞬で終わる可能性もありますが、共体験は永続的だからです。
──しかし、コロナ禍ではなかなか共体験がしづらい場面も増えています。企業はどういう形で向き合えば良いのでしょうか。
フェスやスポーツのようなわかりやすい共体験は、コロナで一時的にダメになりましたよね。一度ふりだしに戻ってしまいました。じゃあ、もう共体験できないかというとそんなことはなくて、物理的・空間的なものを超えた共体験に進化していくはずです。今は企業も個人も試行錯誤している段階ですが、テクノロジーを使うことによってリアルに集まらなくとも共体験の演出は可能になるでしょう。
ただ、テクノロジーを導入すれば良いというわけではなく、大切なのは「何を共有しているか」であることは言うまでもありません。これはリアルイベントにも言えることですが、共体験する価値が明確でないと失敗してしまいます。今こそ、共有すべき価値が何なのかを棚卸する良い機会だと思います。
──企業がナラティブをつくるうえで、どのようなアプローチが必要でしょうか。
ミレニアル世代やZ世代は「ナラティブネイティブ」ですから、そういう意味でも若い世代に任せることは有効だと思います。では、年配の方がナラティブをつくれないかというとそうではなくて、戦後から昭和時代というのは、ある種ナラティブな時代だったと思います。
ナラティブという言葉こそありませんでしたが、みんなが一つの理念に基づいて一緒に物語を紡いでいました。大量生産・大量消費の波に飲み込まれてしまいましたが、心のどこかにはナラティブがあるはずで、それを思い出してほしいですね。
また、生活者目線を自ら経験することも大切です。ナラティブ発想は、自分で経験しないと生まれません。私の感覚では、男性よりも女性の方がナラティブについてピンときているように感じます。これはきっと、少なくともこれまでの日本では、女性の方が子育てや家事をしているからではないでしょうか。ビジネス視点と生活視点を分けるのではなく、それら全部を一つの物語で括るのだと考えてください。