また、錦糸町から亀戸、新小岩、小岩に至る城東エリアには、老舗の町中華料理店が比較的多く残っている印象だ。東京都の統計によれば、このエリアを擁する江戸川区、江東区、足立区は、都内で中国の人が多く在住している地域でもある。池袋とは異なり、このエリアにあるチャイニーズ中華の多くは従来の商店街の中にあり、街に溶け込んでいる印象も受ける。
商店街の中にチャイニーズ中華の店が溶け込む新小岩
最近JRの上野駅から御徒町駅にかけては、大通りに面してチャイニーズ中華の出店が増えている。池袋や新宿と同様、上野は都心と郊外を結ぶターミナル駅で、通勤帰りに利用しやすい繁華街であることが出店のいちばんの理由だろう。
上野は、京成電鉄のスカイライナーによって成田空港から都内に入るゲートウェイでもある。来日した中国の人たちにとっては、思い出深い場所でもあるのだ。
訪日中国人観光客の9割が上野を訪れるという統計もある。これらが何を意味するかといえば、多くの同胞の集客が望めるし、晴れの場としての上野に自分の店を出すことは、経営者にとっては面子として重要だと考えられる。四川料理などの高級店が増えているのは、そのせいではないだろうか。
都心から延びる私鉄沿線駅前にも広がる
蒲田では、1983年に中国で生まれ育った残留孤児の店主が始めた「你好」が、羽根つき餃子発祥の店として有名だ。この町には彼の一族が開いた中国の東北料理店が数多くある。なぜ東北料理かといえば、戦後残留孤児が残されたのは旧満洲の中国東北地方だからである。
蒲田には1990年代前半に来日した東北人や福建人が多く、餃子を売りにする店が目立つ。これらの店の多くは、錦糸町から小岩のJR総武線沿線と似ていて、地元に溶け込み、味も日本人に合わせている店も多い。
JR京浜東北線沿いの西川口や蕨の駅前に出店が集中しているのは、近隣に中国系住民が多く住む公団住宅があるからだ。
来日当初は都心のアパートで暮らしていた彼らも、仕事が安定し、家庭を持つと、1990年代後半から郊外に移り始めた。その主な移り先が公団住宅(現UR賃貸住宅)の多い城東エリアと、JR京浜東北線で都心とつながる西川口や蕨地区だった。
中国系住民が多く入居する埼玉県川口市の芝園団地
中国系住民の多くは都内に通勤や通学をしているが、居住者が多ければ商売が成り立つという意味で、チャイニーズ中華の集中出店エリアにもなった。これらのエリアも東北料理や福建料理の店が多く、都心に比べ気心知れた同胞相手の商売をしているため、のんびりした風情が味わえる。
ざっと5つのエリアを概観したが、これ以外の場所にもチャイニーズ中華は広く点在している。都心から放射状に広がる各私鉄沿線駅前には、たいてい1店から2店はある。その数はもうカウントできないほどの多さだ。筆者が「東京ディープチャイナ」と名づけた中華料理の新世界はいまや日常の光景となりつつあるのだ。
連載:東京ディープチャイナ
過去記事はこちら>>