「ごはんの味もほとんどはニオイで決まるし、相手の情報をニオイから受け取れなくなることで、誰かといてもいまいち充実感がない状態になると報告されています」
かつて女性は、他者の助けなしに子育てや社会生活を送るのが難しい状況にあったため、近くに人がいるかわかるように嗅覚を発達させ、一方で男性は外に出て農作業や狩りをするため、視覚を優先させてきた。そのため男性と女性では、圧倒的に女性の方がニオイに敏感なのだと現段階の仮説では言われている。
このようにニオイに関する能力は住環境や社会環境によるという説もあるため、感情や情動もニオイで共有している可能性があると坂井教授は指摘する。
「嗅覚を失うことでメンタルに影響が出るというのも、周りの人が何を考えているかを探りにくくなるからでしょう。実際に会っていると感情や雰囲気の共有をリアリティをもってできますが、いくらテクノロジーが発達しても画面越しに受け取ることができる情報量は少ないため、一体感や感情の共有は難しいのではないかと思います」
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では、人間はどのようにニオイを感知しているのか。
空気中を漂う化学物質であるニオイが、鼻の奥にある嗅上皮の細胞に付着すると、ニオイが脳に伝えられる仕組みになっているという。
「ニオイを感じる神経は頭蓋骨を突き抜けて伸びていて、その神経が脳に入って大脳皮質に伝えられると、何のニオイか分析されます。あるいはこのニオイは嗅いだことがある、という記憶が呼び起こされるのはおでこの所にある眼窩前頭皮質、ニオイの好き嫌いという反射的な行動は扁桃体で処理されたりと、ニオイの信号は脳のいろいろな箇所を巡っていきます。基本的には他の感覚に比べてとても短い経路を進んでいくのが、ニオイの特徴です」
ニオイで変化する印象
しかしニオイの捉え方は、ニオイ物質そのものよりも、それをどう認知するかによって変化するという。
「例えば何も見えない、知らない状態で焙煎のニオイがしてくると『火事だ、物が焦げている』と思いますが、コーヒー屋さんがあることがわかっていると焙煎のいいニオイ、と捉え方は変わります。視覚情報が先にあると、どうしてもその情報に合うニオイをピックアップしてしまうのです」
さらにニオイは、他者の性格の判断に重要な役割を果たしているという。坂井はかつてあるテストを行なった。
同じ人が同じ服装、同じ髪型で、同じセリフを読み、毎回香水や柔軟剤など身につける香りだけを変えた。同じ人でも身につけるニオイが違うと、香り以外全ての条件が同じでも、大きく印象が変わったのだ。例えば、ユニセックスの香りをつけると、元気だとか明るいというイメージが際立ち、花の香りがすると大人っぽい、おとなしいというように。
「それぞれのニオイから誰もが同じ印象をもつわけではなく、あくまでも顔形や服装などとの相互作用があるので一般法則として言うことは難しいですが、同じ人であればどういうニオイをつけるかで、与える印象が違うと言えると思います」
ニオイは実際の状態を伝えるツールとしてだけでなく、印象や雰囲気をも左右するのだ。
見えなくとも、自己や外部との関わりを構成する要素として、大きな役割を果たすニオイ。第2回では、他者との関係性、特に恋愛におけるニオイの役割について考える。
坂井信之◎大阪大学大学院人間科学研究科で学位取得後、日本学術振興会特別研究員、科学技術振興事業団科学技術特別研究員(産総研)、神戸松蔭女子学院大学人間科学部准教授などを経て、2011年10月から東北大学文学部に准教授として着任。2017年4月より現職。東北大学電気通信研究所教授・ヨッタインフォマティクス研究センター副センター長を兼務。企業と共同研究も多く、「おいしさ」「心地よさ」を実験や調査により明らかにしている。