私たちの生活と密接に関わる「ニオイ」について知り、上手く付き合う術を学ぶ連載「ニオイは悪者か」を展開する。第1回のテーマは、日常生活におけるニオイの役割について。そもそもなぜ人間は体臭をもつのだろうか──。東北大学大学院文学研究科心理学研究室の坂井信之教授に聞いた。
なぜ人間に体臭があるのか
例えば犬は、お互いのニオイを嗅ぎ合って、そのニオイから相手の情報を得ていると言われる。しかし、人間はよほどのことがない限りお互いのニオイを嗅ぎ合ったりしない。相手の見た目や発する言葉といった、視聴覚情報からお互いのことを認識しているように思える。では、なぜ人間には体臭があるのだろうか。
坂井教授は、人間におけるニオイの役割は「自分が何者かを表現するツール」だと話す。さらに、赤ちゃんがお母さんの乳首を探し当てる時にはニオイを手掛かりとするなど「物の位置などの情報を得る、または発するため」にもニオイは用いられているという。
そもそも人がもつニオイは、食べた物の成分や香りが汗を通じて外に出ることで発せられる。それらと体から出る皮脂などを分解する、皮膚上のさまざまな常在菌が合わさった時に発生するのが体臭だ。人によってもつ常在菌は異なるので、個人ごとに体臭は異なる。
人間はアイデンティティーとして「自分だけのニオイ」をもち、無意識のうちに互いのニオイを伝え合って、他者と自己を認識しているのだ。さらには動物がニオイを通じて別の個体の健康状態を察知し、危機管理を行うのと同様、人間もニオイを判断材料として、相手の健康状態や周囲の状態を察知しているという。
「何年か前に京大の先生が行なった研究があります。草は、刈るとニオイが強くなりますよね。あれは植物が『俺は切られた、もうダメだ』と発信するためのダイイングメッセージで、そのニオイを受けた周りの植物は『よし頑張るぞ』と生長反応を見せるというのです。
ニオイは物質のなかに含まれるものが揮発して届くものもあるし、体臭のように積極的に動植物が外へ出すこともある。花は、虫を集めるためにニオイを出しますよね。人間を含めた動植物が発するニオイは、そのように自分の状態を周囲に知らせる機能をもっています」
このようにニオイは自己と他者の認知機能、そして危機察知のための役割をもつ。新型コロナウイルスの症状のひとつとして嗅覚障害が発症することがわかっているが、嗅覚の働きが失われることは、想像する以上に多くの情報をシャットアウトし、「まるで白黒の世界に生きるかのよう」とかつて表現されたこともあるという。