日比野:近年「アートプロジェクト」というものをやっているんですよ。美術の新しいカテゴライズで、「モノ」を作るのではなく「コト」を起こすような表現です。モノを作るのが目的ではなく、モノを作るのをきっかけに、それを通して人間関係を作っていく、地域との関係性を持つような類のものが「アートプロジェクト」と呼ばれています。
アートプロジェクトを紹介する展覧会って困るんですよ。モノがないから。それを見せるには映像や写真が必要なんですが、その際にARを使ったことがあって。美術館の中に50個くらいのARマーカーを置いて、お客さんにそこにある糸玉や和菓子、しめ縄などにiPadをかざしてもらいます。そうすると、そこに映像が現実空間に出てくるようなイメージです。
東京藝大アートフェスには300ほどの作品が集まりましたが、ARを使えば自分のPCで見るだけでなく、街の中を展示空間にすることができるんですよ。例えば300個のARマーカーを商店街などに散りばめれば、その街の中から作品がどんどん飛び出してくるようなことができるし、そのデジタル作品と紐づくようなものが物理的に街の中にあれば、そこにARマーカーを置いて作品の背景を知ることができる。その作品と背景のマッチングによって、新しい発想が生まれることもあるかもしれません。
アートと社会の関係をつなぎ直す
日比野:箭内さんが言うように、今回のアートフェスでは東京藝術大学の全ての学部・研究科の垣根を超えて、みんな同じ1つのファイルの中に存在していたのは新鮮に感じました。僕と箭内さんは美術学部の中にあるデザイン科出身で、他には絵画科があって、その中には油画と日本画があります。彫刻科は木彫や石彫、金属と分かれていて、工芸科は陶芸や木工、漆芸、彫金、鍛金、鋳金、染色などに分かれています。なぜ分かれているかというと、素材や材料、技法が異なるから。
そこに垣根を超越する「デジタル」が加わりました。デジタルでは、1つの箱の中で音楽も作れるし、ビジュアルや映画も作れる。テキストも書けて、コミュニケーションできる情報ツールにもなる。使う道具や材料が変われば、思考も変わってきます。デジタル前提の子たちが当たり前のようにいて、「何で藝大は音楽と美術が分かれているのか、意味がわからない」と言うような子も出てくるわけです。
もちろんピアノや絵の具はなくなりはしませんが、それ一辺倒ではなくなってくるはずです。新しい思考が生まれたら、当然新しい社会が生まれてくるので、結果的にはビジネスや経済もどんどん変わっていくだろうし、変わっていかなくてはいけないだろうと考えています。
東京藝術大学は今年の10月で創立134周年になりますが、130年って1人の人間が長生きすれば1世代です。今は次の世代、次の130年を作っていく大きな潮目だと思うんですよね。表現の媒体や材料、使う道具が変わってきているし、メディアも変わりつつあります。オンラインとオフラインの両立──デジタル表現が一般化されたとき、美術館という「箱」じゃないとできない大きな役割は、仮想空間の中でもできるようになるはずです。
コンピューターの中では、気温や換気が管理された美術館も、音響設備があるコンサートホールも関係なくなります。
これまでの制約から解き放たれた表現の作家がたくさん出てくるだろうし、彼らを支援するパトロンやオーディエンス、ギャラリストが出てくると思います。実際今回の東京藝大アートフェスにはデジタル作品がたくさん出てきました。先ほども話した通り300以上の作品が集まったので、普通は美術館のキャパシティがあるから、演奏時間や上映時間があるから、と制限してしまいますが、デジタル空間であれば出そうと思えば制限なしに出せるんですね。
藝大の1年生を見ても、10年前の1年生とは全然違うわけです。デジタル・ネイティブがいるように、デジタル前提で「アートってそういうものだ」と捉えている子たちです。
全然違うという意味では、東日本大震災を知らない子たちも、8年後には1年生として入学してきます。震災当時はアート界からかなりの人が東北に行ったし、さらに昔をたどれば阪神淡路大震災のとき、「ボランティア」という言葉が根付き始めて、地域貢献、地方創生みたいな言葉が生まれ、その中にアートがかなり入っていきました。先ほど例に挙げた全国各地の芸術祭などの「地域とアート」というキーワードは、震災から始まったんですよ。
東京藝術大学でも、今のコロナ禍でデジタルツインとかバーチャル藝祭、オンライン授業など、デジタル化の取り組みを進めています。アートは必ず社会が大きな課題にぶつかったときに変革して世の中を変えていくし、アート自体の認識も変わってくるもの。だからコロナ禍によって、また大きく世の中が変わり、アートの認識も変わると思っています。