平田:もうそのモデルではないなという若い人たちの気づきが生まれているということですね。学長としては、一人でも自分自身の仕事をつくっていける人に育ってもらいたいと思っています。そうすれば、暮らし、働くことを通して、地域との関係が自然に生まれていくし、結果として大学も地域と結びつきが深まっていくと思います。
鷲尾:この新しい大学は、そんな若い世代を育み、全国に供給していくような場所になっていくのかもしれませんね。でもそれがより幅広い人と人との交流を生んで、結果的には豊岡市にとっても、地域社会の持続可能性を高めることになるのではないでしょうか。それは、彼らにとって、この町が「第二の故郷」になっていくということかもしれません。こうした人と人とのつながりを育てることは、これからの地方都市にとってはとても重要だと思います。
志賀直哉など、城崎温泉ゆかりの作家に関する展示を行う「豊岡市立城崎文芸館」(写真:鷲尾和彦)
平田:中貝市長(※3)も同じことを話していましたね。卒業後も残ってくれる人たちはある一定数はいるでしょう。ちなみに試算では卒業生が2割残ると、20年後の人口増に800人貢献すると言われていますので、いわば2~4割が残ってくれればいいわけです。あとの人たちは、この町の存在、この町での経験を、日本や世界に伝えてくれればいい。故郷に戻って行ったり、別の地方都市でもいいので、どこか自分が学んだことを実践できる地域を見つけてくれたらいいなと思います。働く場所が全国に拡散していく状況が生まれることが何よりとても重要だと思います。
鷲尾:新しい挑戦ですね。楽しみにしています。
平田:実はこの町の人たちは、町の中に大学があるという状況をよく知らないわけです。一つも大学がなかったところに、大学ができるとどういうことが起こる。今、豊岡市の出生数は年間600人を切っていて、18歳年齢での転出が7割以上ですから、移住者を含めても19歳人口は200人程度なんですね。そこに1年に80人の大学生がいきなり入ってくるわけです。
まずファミレスの風景が変わるでしょうね。大学生アルバイトが多くなってくる。
おじさんたちのファッションセンスも変わるかもしれませんね。若い人たちに見られることになるわけですから。そんなことも含めて、壮大な社会実験だなあと思っています。
これまで日本のアートマネージメントは、海外のモデルの直輸入でした。ナント(フランス)や、ビルバオ(スペイン)など、いろんなモデルを学んできたけれども、豊岡は、少なくともアジアの中では「豊岡モデル」といって脚光をあびるような、アジア全体からも視察がくるような町を目指していきたいと思っています。
(※3)冒頭のとおり本インタビュー後の4月25日、豊岡市長選挙が行われ、関貫久仁郎氏が新市長に選出されている。