福島民報の宗像は言う。
「10年前の震災時には国内外を問わずたくさんの応援をいただきました。実はこの紙面の内容は、当時、仮設住宅などにおられる避難者の方からのメッセージを新聞デザインで掲載させていただいたものなのです。熊本で地震が起きた時、ボランティアに駆けつける方もいれば、行けないけれど何かを形にしたいと思う人が福島にはたくさんいらっしゃって、その思いを新聞社が媒介したという形です」
神戸新聞も同様に、メッセージを集めたデザインとなっている。同社は神戸市と地元大学生らとともに「117神戸ぼうさい委員会」を立ち上げており、震災を経験した方やその家族、震災を知らない世代といった広い声が集まった。中には親戚に呼びかけるものもあり、読む側にとっては他人であっても、我が事のように感じたことだろう。
伝えるプロたちの広がる手段
3紙の地元新聞社は、災害の中でも情報を取り発信し続けた。「安全確認を最優先に、そして動ける者は部署を超えて動きつづけました」(柳原)という気概は、文字となって被災者に届いた。3紙が異口同音に話してくれたのは、被災時の新聞の役割だった。
阪神淡路大震災の折は携帯も無い、東日本大震災、台風19号、そして熊本地震ではTVやスマホの情報があったとはいえ、それはメディアの性質からどうしても広い情報になってしまう。「我が町」の情報にたどり着けない場合もある。部署を超えて動き続けたという言葉の通り、3紙すべて、地元の人たちへの有益な情報を掲載し足を運んで届けたという。購読しているかどうかは関係ない。福島ではメガネ店と協力して老眼鏡まで届けもした。災害協定を他紙と結び発行を絶やすことなく伝え続けたのだ。
それだけではない。災害後も、復興していく過程をつぶさに追い続け、伝え続けることを休まない。3紙それぞれが地域での行政や大学との取り組みや、団体を通した災害への啓蒙活動を広げており、「どこの地域よりも防災意識を高めてほしいと願っている」と言う。そして、集まった知見を広く外に発信していくべきとして、今回のプロジェクトが形となった。
被災3県の地元新聞社が行った共同プロジェクト「おみやげ防災」。話を聞いていくうちに、自らの責務と伝えていく役割の重さを強く感じられた。神戸新聞社の大岸は「被災した方々の思いはそれぞれ『点』であって、それを新聞が介することにより線でつながる。その線が広く伝播して面になる」と表現する。防災知見は、そのように伝播されるべきだろう。
3紙の思いがここに書ききれないのと同様に、「おみやげ袋」にももっと多くの知見を詰め込みたかったに違いない。第二弾、第三弾の企画化が楽しみだ。