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福島県相馬市でドキュメンタリーの撮影をする筆者(左)と母(右)

先月、深夜、川崎の自宅で突然の激しい揺れを感じた。慌ててテレビをつける。震源地は福島県沖、実家のある相馬のすぐそばだ。心臓の鼓動が急激に高まる。現地は「震度6強」、とっさに10年前の悪夢がよみがえった。

1000年に1度と言われる未曽有の大災害、東日本大震災から10年。昨年から世界中がコロナ禍に襲われ、最近は自分たちメディアも含め、いささか震災報道が風化しつつあった矢先の福島県沖地震だった。

「震災復興プロジェクト」も10年を過ぎて


10年前、東日本大震災直後に、日本テレビの各情報番組のプロデューサーやディレクターが集まり、この未曽有の大災害に際して、これからどう報じていくかを話し合った。当時、昼の帯番組「DON!」の総合演出で、被災地の出身でもあった自分も参加した。

第1回目の集まりでは、各自がそれぞれ、どこで、誰と、どんなシチュエーションで14時46分の瞬間を迎えたのか、その時何を感じたのかを率直に話し合った。

恐怖のあまり、顔を引きつらせ、震えながら話す者もいた。出身地が被災地となり、不安や恐怖に泣きだす者もいた。そして、誰からともなく、「少なくとも10年間は、被災地に寄り添い、復興への道のりを伝え続けよう」と誓い合った。

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こうして「震災復興プロジェクト」として、普段は別々に動いている情報番組が連携をとりながら、企画はスタートしたのである。

以来、未曽有の災害で得た教訓を次代に伝えるのもメディアの役割ということで、ZIP、スッキリ、バゲット、ズムサタ、シューイチなど各情報番組では、毎年「復興支援」や「防災」につながる特集を放送している。

自分自身も、わが家を被写体としたセルフドキュメンタリー「生きてやろうじゃないの! 母と息子の震災日記」をシリーズで7回放送してきた(出版化もされた)。

いまは唯一の初期メンバーとして、この東日本大震災に関するプロジェクトの統括を務めているが、10年の間にはさまざまなことがあった。

「震災ネタってなんか、画面が茶色くて、見る気がしないんだよね」、そんな辛辣な声が寄せられることもあった。

所詮は他人事なのだな……、そう感じることもあった。

でも綺麗ごとではなく、自分だってそうだったのでは? それまでも大きな災害、事件や事故を最前線で取材しながら、どこか他人事だったのでは? 今回たまたま自分の家が被災したから必死に向き合っているだけなのでは? そう自問自答することもあった。

文・写真=武澤 忠

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