またEUとイギリスは北アイルランド問題を抱えています。1998年の和平合意によって法的にはイギリス領土ですが、経済的にはEU統合によってアイルランド側と事実上統合しているような状況で、国境や税関なく自由に移動ができます。ですがブレグジットによって国境が生まれたため、北アイルランドに配られるワクチンはEUからか、イギリスからか? となり、EU側からはワクチンを渡さない判断がされ、混乱しています。
欧州委員会のワクチン交渉に対しての未熟さとミスの結果、みんなの不満が噴出し、国際的な摩擦を引き起こしています。
ワクチンナショナリズムは一時的な熱 EUに残す傷痕も
──「ワクチンナショナリズム」の先に懸念することは? 安全保障の観点から各国にどんな考え方が必要でしょうか。
ワクチンナショナリズムは一時的な問題だと考えます。世界のワクチンの生産力から言えば、少なくともアメリカやヨーロッパ先進国では数カ月で各国の国民が接種し終えるので、自国のために溜め込む必要はなくなります。余剰ワクチンが生じる状況になれば、ワクチンナショナリズムという言葉自体忘れられていき、国際秩序を変えるものにはならないでしょう。
ただし、イギリスとEUの関係はワクチンだけではなく諸問題が複雑に絡み合い、傷痕が大きく残るでしょう。イギリスはEUから脱退したものの、EU各国と技術協力や投資や自由貿易協定の交渉を控えています。そういった細部に渡って、少なからず影響が出ると考えられます。
また、イギリスでは成人の半分ほどがワクチン接種を進んでおり、EU離脱が良いことに映り、イギリスの成功例を真似しようと離脱に向けてEUに遠心力が働く可能性があります。ワクチンナショナリズムを超えて、各国のナショナリズムの問題に発展すれば、新たな分断を深めることになります。
日本でも国内生産が始まったアストラゼネカ製ワクチン。5月中の承認を目指している(Getty Images)
──日本では今後のワクチン調達にどのような視点が求められますか。
人類的な視点で見れば、COVAXのような多国間協調が理想的ですが、各国は自国向けにワクチンを入手したいのが本音です。日本の立場で見れば、国産ワクチン供給が安定的であり、透明性のある契約を結ぶことが理想です。国内でも第一三共が、製造販売の承認待ちのアストラゼネカのワクチンの受託生産を始めましたが、いずれはジェネリック薬品が入手できるようになれば良いと思います。
一般的に感染症を封じ込めるには集団免疫の獲得が大事ですが、日本では公衆衛生の観点による議論がほとんどありません。これから変異株がどれほど広がり、感染状況を変えるか注目しなくてはいけません。世界的な集団免疫を獲得して、新型コロナウイルスの蔓延を減らし、感染者をゼロに近づけていく必要があり、そのためにワクチンは有用です。
(前編:VS中国、世界で渦巻く「ワクチン外交」日本は出遅れているのか?)
鈴木一人◎東京大学公共政策大学院教授。1970年生まれ。2000年英国サセックス大学院博士課程修了。筑波大学助教授、北海道大学公共政策大学院教授を経て、2020年より現職。2013年12月から2015年7月まで国連安保理イラン制裁専門家パネルメンバーとして勤務。著書に『宇宙開発と国際政治』(岩波書店、2011年。サントリー学芸賞)などがある。