森羅が人々を救う「ヒーロー」を目指して消防官になったように、一般的には「消防官は強靭な体力、精神力の持ち主たち」というイメージがあるが、実際には悲惨な現場に遭遇して心に外的心傷を負う例は、とくに若い隊員に多い。問題なのはそういうとき、彼らが我慢したり、独りで乗り越えようとしたりしがちなことだ。
「弱音を吐けないタイプが多いだけに、直後にこうしたケアを行うことには効果があると感じています」と野崎は語る。
外的心傷を負う例も少なくないとはいえ、「ヒーロー」たる消防官のメンタルの基盤はどのように育成されるのか。
「精神力は、消防学校での職業訓練で身について行きますね」と語る野崎。半年間の全寮制の生活で、規律、集団で動くことの大切さ、正義感を叩き込むのだそうだ。
「正直、束縛も強いし、学校を出たばかりの新社会人が体験する暮らしとしてはかなり辛いと思います。今後消防職員になる上で、プライベートを犠牲にすることが必ずあることも、この半年間で実感するはずです」
暗い海に懐中電灯1本。漁船を繰り出した父の恐怖と勇気
新人の苦労をそう語る野崎隊長に、なぜ消防官を目指したのかを聞いてみた。
「父の影響が大きいです。私は鹿児島県の奄美大島出身ですが、奄美では、漁業などの職業を持ちながら、一般市民が消防団を兼務していることが多いんです。父もそうでした。ある日、魚を捕りに行った人が陸に戻れなくなって、水中に沈んで亡くなる事故がありました。その際、消防署から消防団に要請がかかり、父が自分の漁船で、遺体を探しに行ったんです」
子供だった野崎の脳裏にもその時、水中に長時間漂っている人体がどんなふうに変貌しているかは想像できた。夜間の捜索で、懐中電灯1本で夜の海に出ていった父の恐怖も測り知れた。
「父への自然な尊敬が湧きました。実際に消防官になってみて、あの時父が体験したはずの人体の重量、肉体的な辛さもしっかりとまたわかります。父のあの行動が、自分の現在を決めるきっかけになったと考えています」
「部下にけがをさせない」のが任務
続いて、野崎と同じ世田谷消防署世田谷中隊長の内山智弘にも、緊張とリラックスの切り替え、日常にありながら有事に備えるメンタルのコツを聞いてみた。答えはまたしても「基本的に切り替えない」だった。
東京消防庁世田谷署 世田谷中隊長 内山智弘
「勤務中はいつも緊張しています。ですから、災害現場に出動した夜勤明けの午前8時40分も、火災がなくて訓練とデスクワークをしていた待機明けの午前8時40分も、同じように疲労している」。それは、災害に対してというよりは、「隊員の命を預かっているから」だ。
「災害のあるなしにかかわらず、翌朝の8時40分をむかえるまでは、部下に事故やけがを絶対にさせないという点で気はずっと張っています」