初の民間有人宇宙船、Crew-1の打ち上げを支えた仕事

ジョンソン宇宙センター。発射台が遠くに見える


その4日後に西川も合流し、現地での業務をスタートした。

SpaceX社が主導する打ち上げでは、これまでとの違いを感じたと西川は話す。

「5月の有人試験機で、打ち上げから国際宇宙センター(ISS)へのドッキングまで一連の流れを確認したつもりでしたが、打ち上げ直前までスケジュールが確定しないことが多く、現地に入ってからもスケジュール変更が発生し、柔軟な対応が求められました」

その理由のひとつは「SpaceX社の、民間ならではのスピード感」だと冨永。「そこが、着実さを優先する国主導のプロジェクトとは大きく違うところだと思います。SpaceX社は打ち上げ直前まで対応に追われていたと思いますが、それでも目標のために突き進んで、これだけのことを実現してしまうのは率直にすごいと感じました」と続けた。

打ち上がっていくロケットに、心の中で声援を


慌ただしく準備を進めるなか、ついに迎えた打ち上げ当日。
米国東部時間11月15日午後7時27分(日本時間11月16日午前9時27分)、カウントがゼロになると、野口宇宙飛行士を乗せたCrew-1は、ケネディ宇宙センターの39A射点からファルコン9ロケットとともに空高く昇っていった。

Crew-1の打ち上げ写真
(C)JAXA/NASA Crew-1の打ち上げの様子。

西川はそのときの様子をこう語る。

「打ち上げ時は拠点の会議室にいました。夜だったので、遠くにロケットの光が上がっていくのが窓からよく見えました。空高く上昇する光を見ながら『おおっ』という気持ちはありましたが、軌道投入までは安心できないので、静かに見守り、安全に飛んでくれと祈っていましたね」

感動を覚えながらも、それを表には出さなかったのは冨永も同じだ。

「打ち上がる瞬間は振り返ってちらっと見たりもしたんですけど、空高く上がったあとはもう、パソコンで淡々と作業を。緊急事態が起こったらすぐに危機管理モードに切り替えられる体制に入っていたので、心の中では『行けー!』と叫びながら、筑波宇宙センターやヒューストンのジョンソン宇宙センターにいるメンバーがTeams(オンラインコミュニケーションツール)に書き込むモニタリング情報の内容を追っていました。口にはしないけど、みんなそれぞれ、喜んだりドキドキしたり、いろんな思いを持っていたと思います」

Crew-1は、打ち上げから約12分後にロケットから切り離されて所定の軌道へ投入された。世界が見守るなか、打ち上げは無事に成功。ふたりもやっと安堵した。

ISSへのドッキングの写真
(C)JAXA/NASA 打ち上げの翌日、ISSにドッキングしたCrew-1。

対面できないからこそ重視したコミュニケーション


打ち上げに際して大きな影響をおよぼしたのが、新型コロナウイルスの流行だ。リモートワークを余儀なくされ、渡米するスタッフの人数は予定よりも大幅に絞った。

「夏にアメリカ国内での感染者が増え、アメリカへ行かずに日本から支援活動ができないかという検討も行いました。しかしその後、JAXAの医師らと相談し、メンバーの人数を最小限に絞った体制で、健康管理と感染対策をしっかり行ったうえで渡米することになりました」と西川。

ケネディ宇宙センターもテレワークが推奨されていたため、「施設全体が閑散としていました。アメリカは車社会なので、施設の前にすごく広い駐車場があるんです。アメリカの方は朝6時くらいには出勤するので、早い時間に駐車場の空きが少なくなるのですが、今回はいつ行っても建物のすぐ前に停められました。それだけ人がいない状態でした」と冨永は話す。

打ち上げ2日前の現場の風景
打ち上げの2日前に撮影した、会議室からの風景。遠くにCrew-1の射点が見える(矢印部分)。左の白い建物はサターンVロケットやスペースシャトルの組立棟。現在はNASAの新しいロケット(SLS)を組み立てている。
次ページ > 野口飛行士同様、私たちも経験を伝える存在へ

取材・文=平林 理奈

タグ:

ForbesBrandVoice

人気記事