アイデンティティーを失ったネット時代の叫び

スティーブ・バノン(Photo by Stephanie Keith/Getty Images)


そもそもアイデンティティーとは何なのか? 辞書的には自己と同一化している要素、つまり自己同一性、自分が他と異なるということを指す言葉だが、まず考えつくのは個人の名前だろう。原始社会ではほとんど誰もが無名で、近代になっても支配階級以外の農民や労働者に正式な姓名はなかった。名前がなくてもその人が他者と正確に区別できるほど小さな集団ではいいだろうが、人類学者のロビン・ダンバーが言うように150人ほどしか友人を正確に区別できない人間の能力を超えて、何百万もの人が集まる都市で日々顔も知らない相手と暮らすのは難しい。

他人に所属組織のラベルを貼ったり、逆に仲間内だけでしか通じないギョーカイ言葉を作って人数を制限したり、会員組織化して囲い込むことも行われているが、フェイスブックの友達の上限5000人という規模でさえも、もう個人的には対応できなくなってしまう。

また暴力という言葉も難しい。一般的には意志に反して強制する行為を指すが、身体的に傷つけあう力任せの行為から、現在では広くハラスメントと呼ばれる言葉や態度による行為も含まれるだろう。自分のアイデンティティーに関わるプライバシー情報を覗かれたり、操作されたりすることになれば、いやでも抵抗したくなる。


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もともと何の理由もなく暴れて他人を傷つけたい人などいないはずで、暴力行為は暴力をふるう本人にも返ってくるわけで、それを純粋に楽しむ人がいたとするとそれは病気だろう。DVやいじめの行為も、やった本人の心理を探ってみると、自分が受けた暴力のトラウマが原因だったりするケースがあり、暴力は他人に大声で叫びながら認めてもらおうとする気持ちの延長線上にあるのではないかとも思う。

また歴史的には、最も規模の大きな戦争などの集団的暴力は、結果的に人類全体を不幸にしているものの、それによって以前の社会階層や集団構造が壊れることで、社会的・経済的不平等が解消しているという事実もある。

ある社会が安定することで、階級や制度が定着して世襲制や富裕層の固定化が進み、大きな経済的格差が拡大したとき、戦争や革命、またペストのような大規模な疫病が起こって、支配階層の影響力や人口構成が変わって、それまでの格差が解消するのだ。

現在のコロナ禍は、人類にとっては自然の起こした暴力のようなもので、人々の流れを変え多くの犠牲者も出しているが、それが結局どのような変化をもたらすのかを想像するのはなかなか難しい。IT時代にGAFAのような超巨大企業やその経営者が世界のほとんどの富を集中して持つようになった世界は、今後どのように変化していくのだろうか?

現在の工業化した消費社会の原点となった資本主義の持つ限界を打ち破るために、資本主義の勃興した時期に『資本論』を書いたカール・マルクスが理想とした社会主義を見直そうとする動きもあるが、そうした変化が単に暴力的な革命などで起きてほしいとは思わない。

新しいアイデンティティーを非暴力的な方法で主張して認め合い、かつ不平等も是正していくという難題にどう立ち向かうべきか。こうした過去の歴史から学んだ、21世紀だからできる新しい道を探るべきだろう。

連載:人々はテレビを必要としないだろう
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文=服部 桂

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