投資家からのオーダー総額は6倍超の1260億円に到達し、機関投資家のみならず、投資先として事業会社もこぞって手を挙げた。JCR(日本格付研究所)からは債務履行の確実性が最も高い信用格付け「AAA」を取得。これはNTTドコモやトヨタ自動車と同ランクだ。
これまでも償還財源を生み出す事業のための、プロジェクトファイナンス型の債券発行は認められていた。しかし政省令改正をへて、投資する事業に収益性がなくても、大学の余裕金で償還できれば良いという、使途の自由度が高いコーポレートファイナンス型の発行ができるようになったのだ。
実はこのアイデアは、世界でも例を見ない意外なものだ。
「五神さん、いくらなんでも大風呂敷ですよ」
15年11月の経営協議会で、ある経済界の重鎮が指摘した。その日の議題は五神が新たに掲げた「東京大学ビジョン2020」。五神は「東大が社会変革を駆動する」と熱弁し、研究・教育活動へ先行投資、その成果を透明化・発信、そしてお金の流れが滞った国内経済を循環させていくために東大が自ら行動すると語った。
「大風呂敷」と言われた背景は2つあるのではと、東京大学副学長・坂田一郎は語る。「ひとつは、東大は国立大学のなかでは存在感は大きいものの、税金による運営が主で、経済全体への影響力が小さかったこと。もうひとつは、社会変革をするために連携が不可欠な企業や公的機関と深い関係性がなかったことでした」
頭脳の棺桶、若者の夢を奪う場所
1991年5月、雑誌「AERA」の表紙に刺激的なタイトルが踊った。「頭脳の棺桶」──。当時の国立大学を指した言葉だ。オーバードクター(博士の学位を取得しながら定職に就いていない人)の増加が深刻化。「若者の夢を奪う」とまで言われた。
その1年半前、五神は31歳の若さで東京大学工学部の講師に着任。自らの研究室をもつことになった。しかし、研究室に入った五神は絶句した。以前の研究室のものがそのまま放置され、冷蔵庫には2年前の焼きそばパンが放置されていた。床や壁はボロボロで、自力で修理しなければならない。
研究室の立ち上げはまさにマイナスからのスタートだった。工学部からの着任費用150万円は焼け石に水。五神は民間財団の奨励金や国からの研究費をかき集め、数年かけて研究室をようやく形にした。
95年、科学技術基本法制定が後押しになり、大学にも億円単位のプロジェクトが入ってくる。97年秋からスタートした新技術開発事業団(現・科学技術振興機構)のERATOプロジェクト(五神協働励起プロジェクト)は5年間で約20億円。五神が手がけた最初の大型プロジェクトだ。当時気鋭の若手・香取秀俊がグループリーダーとして参加し、現在世界最高の精度を誇る光格子時計の源流を生み出した。