死の準備から浮かび上がる、今ここにある「生」への問いかけ

(c)OOO≪KinoKlaster≫,2017r.

コロナ禍の中で今年の暮れが押し迫ってきた。今月下旬からの急速な感染拡大を受けて、もし濃厚接触者になったら、もし感染したら、もし身近な人にうつしたら、うつされたら、もし重症化したら、そしてもし万一死に至るようなことになったら……という心配をしなかった人はほとんどいないだろう。

そうした想像の先にあるのは、あらかじめ準備しておいた方がいいあれやこれや。突然これまでの社会生活が全面ストップとなるかもしれないことに備えて、保存食や生活必需品を買い込んだり、仕事を前倒したりした人もいたかもしれない。

自分にもしものことがあった時、なるべく人に迷惑をかけないように、できることは今のうちにやっておく。誰もが「もしも」に晒されるようになった今、「まさか」の時に備える心性は確実に広がっているように感じる。

今回紹介するのは、モスクワ国際映画祭を始め、ロシアの数々の映画祭で高い評価を得た『私のちいさなお葬式』(ウラジーミル・コット監督、2017)。余命が短いことを知った老婦人が巻き起こす小さな騒ぎをユーモアたっぷりに描きながら、最後は思いがけない地点に着地している佳作だ。

死を意識した途端、輝き始めるエレーナ


冒頭に聞こえてくるのは誰かの心臓の音。次いで神妙な面持ちの中年の医師が、目の前の老婦人に「エレーナ先生」と話しかける。

ボブヘアにグレーのベレー帽を被り、大きなセルフレームの眼鏡をかけたエレーナ(マリーナ・ネヨーロワ)は73歳。小さな村で長年教員を勤め、今は一人暮らしの彼女がかつての教え子から告げられたのは、いつ機能停止してもおかしくないほど心臓の状態が悪いということだった。

母の不調を聞き、アウディのクワトロを駆って5年ぶりに故郷の村に駆けつける一人息子オレク(エヴゲーニー・ミローノフ)は、都会に出て起業家として成功しており超多忙。携帯で仕事の指示を出しまくる彼とエレーナとの会話の噛み合わなさが可笑しい。

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(c)OOO≪KinoKlaster≫,2017r.

忙しそうな息子に頼りたくないエレーナは、来るべき自分の葬儀にまつわる一切の準備を、自分一人でやりとげようと決意する。この「誰にも迷惑かけたくない。全部自分でやっておきたい」という、死を意識した老女の決心は、独居老人の多い現在、痛ましさよりむしろリアルに感じられる。

親族の葬儀を挙げた人ならよく知っていることだが、「死」は煩雑な手続きを伴う。医師が書く死亡診断書、役所の発行する死亡証明書、埋葬許可証などの取得に始まり、棺桶と墓の確保、葬儀の後の食事の段取りなどなど。

そして、死を意識したとたんに急に生き生きと行動し始めるエレーナの、「全部自分で前もって準備」という真面目さが徹底されることで、ドラマは実にシュールでコミカルな展開となっていく。

各種証明書をもらいに行った村の役場の女性職員との会話は、まるでコントだ。鳩が鉄砲玉を喰ったような女性職員の顔。あくまで真剣なエレーナ。

遺体安置所にやってきた「エレーナ先生」のたっての頼みを、とうとう引き受けてしまう教え子の検死医セルゲイ(セルゲイ・プスケパリス)の、ハラハラするような一芝居も笑える。

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文=大野 左紀子

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