死の準備から浮かび上がる、今ここにある「生」への問いかけ


何十年経っても「エレーナ先生」と呼び、教えられた詩をそらんじてみせる年とった教え子たち。やんちゃそうに見えて親切な隣の少年パーシャ。そして、口が悪くてややお節介だが、情にもろい友人リュドミラ(アリーサ・フレインドリフ)。

生き生きした「田舎のおばちゃん」感を醸し出しているリュドミラとエレーナとの、長年の付き合いを感じさせるやりとりは、どこを切り取っても面白い。終盤の2人の笑うに笑えないドタバタには、思わずホロリとなる。

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(c)OOO≪KinoKlaster≫,2017r.

1963年の日本のヒット曲、ザ・ピーナッツの『恋のバカンス』のロシアバージョンが、エレーナの青春時代の曲として流れるのにも、じんと胸を突かれる。

「鯉」が暗示する生への希求


しかし、彼女を取り巻く環境は暖かなものばかりではない。自然は豊かだが、どこか打ち棄てられたようなムード漂う活気のない田舎町。エレーナやリュドミラの住まいは、少なくとも半世紀以上経っていそうな古びた木造だし、家の前の道はいつもぬかるんでいる。

息子オレクが置いていったお札を、ハンカチに包んだわずかばかりの貯金に重ねてしまうシーンでは、彼女が決して余裕のある老後を過ごしているのではない様子も見てとれる。

町に一軒しかない小さな食料品店兼雑貨屋兼酒屋。暇そうなヤンキーの若者と、身を持ち崩した中年のアル中。その1人であるナターシャ(オリガ・コジェヴニコワ)は、「生き方を教えてよ、先生!」とエレーナに絡む。すべての教え子に慕われているわけではないのだ。

今は酔いどれのホームレスとなってしまったナターシャだが、かつてはオレクの恋人だったのにエレーナの反対で結婚できなかったとわかるあたりから、その背景が気になってくる。

都会に出られず未来のない閉塞的な田舎町で、道をどこかで踏み外してしまったナターシャ。彼女は、階層差が拡大していると言われるロシア社会の、忘れられた貧困層を象徴している。今はエリート向けの自己啓発セミナーで金儲けを説くようになったオレクとは、真逆の存在だ。

だからこそ、オレクとエレーナに笑顔でかける「誰も恨んでないよ」という彼女の言葉が、強烈なアイロニーとして響く。

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(c)OOO≪KinoKlaster≫,2017r.

もう1つ、このドラマで重要なモチーフは、冒頭近くにエレーナが釣り人から押し付けられる鯉だ。そもそもこの作品の原題は「解凍された鯉」。

大きな洗濯桶の中、立派な体躯と頑丈そうな頭部をもち実に悠々としている鯉の映像が、たびたび挟まれる。一旦冷凍庫に入れられるも解凍したら生き返って泳ぎ出した鯉を、早晩死ぬ予定のエレーナがペットのように大事に飼うというのは、よく考えてみると矛盾に満ちた行為と言えないこともない。

毎日一つの命を見つめることが、彼女の日々に小さく灯った生きがいとなっていたのは確かだ。鯉とともに解凍されたのは実は、エレーナの言動に反して、「生」への希求なのだ。

そしてもう少し踏み込んで言うならば鯉は、資本主義の原理に覆われた世界の「外」にある生を象徴しているだろう。その意味は、終盤にわかに巻き起こる鯉をめぐるひと騒動と、オレクの驚くべき行動によってくっきりと現れてくる。

老母と息子のあたかも神話のように象徴的な光景。走馬灯のように巻き戻されるエレーナの生涯。深く複雑な余韻が、いつまでも心を捉えて離さない。

連載:シネマの女は最後に微笑む
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文=大野 左紀子

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