昨年、私はMeTooと言えない人、言わない人が表現する場を作ろうと「STAND Still:性暴力サバイバービジュアルボイス」と長い名前のプロジェクトを立ち上げた。
公に声を上げなくても良い まずは自分の「心の回復」を
声を上げられる人はフラワーデモやMeToo運動などの活動にどんどん参加してほしい。それは確実に社会を変える力になる。そんな力を十分承知の上でも、声を上げることのできないサバイバーの方がマジョリティーなのは忘れてはいけない現実だ。
声なきサバイバーだからこそ、公でなくても何かしら思いを表現したり、ため込んでいたものを「吐き出す」ことができたら、被害者が自らをエンパワメントすることにつながるのではないか。
私はずっと撮って伝える側にいたけれど、当事者が写すということで、見えてくる世界が全く違ってくることを知っている。これは、横浜でここ5年間やってきた外国につながる中高生が撮る写真プロジェクト「横浜インターナショナルユースフォト」で検証済みだった。
そこで2019年、サバイバーが自分の思いを写すことに取り組むプロジェクトの参加者を募ってみた。不安を抱えながらやってきた8人のサバイバー達と6回ワークショップを行った。できあがった彼女たちの作品は、私のアメリカでのプロジェクト「STAND:性暴力サバイバー達」と一緒に、今年1月から3カ月、東京都人権プラザギャラリーで展示された。
今年は、去年の参加者たちが中心となり、新しい参加者も一緒に、2回目の「ビジュアルボイス」が実施された。今年の作品は11月29日から12月12日まで、横浜市男女共同参画センター北アートフォーラムあざみ野で展示されている。そしてこの写真展の依頼が日本各地から入り始めている。
居場所 by KAHO(c)2020 STAND Still
居場所はないので探しに出た。 海へ行った。 砕けて 泡となった波。 止まったまま 大人になってしまった。 あの時から。(*上の写真のキャプション)
「被害者」という言葉にはいろんな人が含まれることを、彼女たちの作品は教えてくれる。公に実名で声を発しなくても、表現の仕方は他にもたくさんある。
このプロジェクトでは、被害を語る・語らない、展示会に作品を出す・出さないも、それぞれの意思に託されている。そうすることで、自分には決定権があることを知ってもらいたいからだ。
突然体を奪われた人も、性虐待を受けてきた人やDVの中で性暴力を受けてきた人たちも、恐怖の中で加害者のコントロール下に長くいることが多い。そのため、思いを表現することが許されない状況に置かれてきた。自分の決定権を知ること──それは今まで自分の体の権利を奪われてきた人たちにとって、自身の人権を学び直すことであり、自己肯定感を自ら育む土台となる。
被害に遭ったことを「自分さえ黙って我慢していれば、周りに迷惑がかからない」と思ってひとりでかかえこんでいる人へ伝えたい。それもあなたの権利だけれど、抱えている思いを表現することも、ヘルプを求めることも、あなたの権利である。
必ずしも、公に声を上げる必要はないけれど、自分の心の回復を最優先することは、周りの人のためであり、社会のためにもよいのだから。
なぜ社会のためによいのかは、次のコラムで書こうと思う。
連載:社会的マイノリティの眼差し
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