研究社「新英和中辞典」によれば、こうした使われ方におけるビジョンの意味は「(学者・思想家などの)洞察力、先見の明、(政治家などの)未来像、ビジョン、(頭に描く)幻想、夢」とされている。
採用面接で「御社のビジョンに共感して」と使われたり、「夢のない若者が増えている」と話題にされたり……。身近な言葉でもあるが、企業や個人におけるビジョンとはなんのために必要なのか。そもそも、なければいけないことなのだろうか?
今年4月に「ビジョンパートナー」という名のメンタルクリニックを開業した精神科医/産業医の尾林誉史と、そのネーミングの考案者であり、博報堂ならびに同グループのスタートアップスタジオquantumでクリエイティブディレクター/ビジョナーを務める原田 朋が対談した。
──お二人はどういう関係で、クリニックの名前を考える流れになったのでしょうか?
原田:大学の先輩・後輩ですね。彼がコピーライターを目指していて、当時3、4年目だった僕のところにOB訪問に来ました。2年連続で(笑)。
尾林:コピーライターしか頭になかったのですが、ご縁がなく、3年目の就活はないな……と別の道に進みました。その後、あるきっかけで「産業医」の存在を知り、5年目に退職。30歳で医学部に進学して精神科医となり、7年の臨床経験を経て、今年春にクリニックを立ち上げました。
原田 朋(左)と尾林誉史(右)
──「ビジョンパートナー」という名前ですが、個人のメンタルを考えるうえで、ビジョンという言葉はずっと尾林さんの頭の中にあったのでしょうか?
尾林:ワード自体は、原田さんに提示いただいたときにぞくぞくっときたんです。すごく今っぽいなと。この数年、企業でも「ミッション・ビジョン・バリュー」を掲げるところが増えていて、個人も「持ってなきゃいけない」みたいになっている。でも僕自身は、ビジョンについて強迫感のようなものを感じていました。
原田:その強迫感、わかります。たとえば、面談で「この会社での君の10年後のビジョンは何?」と聞かれて、そこで「特にありません」と答えたとして、それは問題なのだろうかという。
勤めている以上は、会社の一部を支えているわけだから、その会社のビジョンを追求したり体現したりする存在でもあるけど、一個人としては、ビジョンがなくても生きていていいに決まっている。
個人における「ビジョン」は、子供の頃の「夢」の代わりに使われている気がしますが、「未来のことを思い描けてないとだめだ」っていうのは強迫観念ですよね。