時代が変わり、働き方や環境も変わる中で、その主な役割は従業員の“健康管理”に移行。近年は、健康においても特に“メンタルヘルス”に対応することが増えている。仕事や職場の人間関係に悩んで「産業医面談を経て、休職することになった」というケースを間近に見たり聞いたりしたことのある人も多いのではないだろうか。
今年5月、東京で「VISION PARTNER メンタルクリニック四谷」を開業した精神科医の尾林誉史もその一人だ。約15年前、彼と産業医の出会いは、「がっかりするもの」だった。ところが尾林はそこで落胆するのでなく、「自分でやるしかない」と30歳にして大手企業を辞め、医学部に入学した。
何がそこまで彼を突き動かしたのか。そしていま、産業医にどんな可能性を見出しているのだろうか。
産業医の実態に呆然 「自分でやるしかない」
尾林のキャリアは、2001年、リクルートで始まった。新規事業の営業を経て、同社が多く展開する紙媒体のウェブ転換を手掛けていた。東京大学の理学部卒業という理系ではあるが、就職活動時に憧れていたのはコピーライター。医者になりたいという気持ちは「皆無だった」。
転機となったのは、入社4年目の頃、プロジェクトメンバーがメンタル不調を患い、上長として「産業医面談」に立ち会ったことだった。
「初めて産業医活動を生で見ました。当時“雲の上の存在”だと思っていたお医者さんとの面談がどんなもので、いかに改善に向かうのかと期待していたんです。ところが、少し会話しただけで『大変だね。仕事休もうか』と、ものの数分で終わってしまった。衝撃でした」
普通ならそこで産業医に絶望することだろう。しかし尾林は、「自分でやるしかない、と思ったんですよね」と笑う。
そもそも産業医というのは、従業員50人以上の企業に配置(非常勤可、1000人以上の企業では専任産業医)が定められている制度だ。しかし、産業医の発言には拘束力があるわけではない。従業員に対して「休んだ方がいいね」と伝えることも、雇用主に対して「労働時間を短くすべきです」と提言することもできるが、それは従わなければいけないものではない。