個人にビジョンは必要か? 精神科医が「クリニックの名前」に込めた想い

今年4月に開業されたメンタルクリニック「ビジョンパートナー」


──ビジョンが明確な会社であれば、そこで働く人はビジョンを抱きやすいような気がします。会社や国のビジョンが曖昧だから、個人も先を描くのが難しい、または描く意欲がなくなる、ということもあるのでしょうか。

原田:会社のビジョンと自分のビジョンが同じ方向にあるのはすごく幸福な状態ですよね。でもそれが難しいのは、世の中の変化が激しくて、企業にとっても個人にとっても、掲げたビジョンがずっと成立するとは限らないからかもしれない。

たとえば、僕が最高のCMを作りたいと思ってそれを追求しても、テレビの視聴者が減っているなかでその価値を認めてくれる人は減っていく。すると、「自分は誰にも必要とされない、役立っていない」というビジョンクライシスに陥ってしまう。

尾林:現実では、ビジョンをしっかりと提示できない、もしくはわかりやすく伝えられている企業が多くないのかなと思います。

それが企業の努力不足であるとは言い切れませんが、そういう曖昧な状態で、「我が社の従業員なんだから」といって、従業員に対してビジョンを過度に押し付けたり、個人のビジョンをあたかも会社のビジョンにすり替えようとするようなことには危機感を感じます。

でも、原田さんが言うようにビジョンがある程度固定されたものだと、社会の変化に順応しにくいし、活動の流動性を下げてしまったりもする。

その視点からすれば、夢もビジョンも変わったっていいし、誰が聞いても立派なスローガンみたいでなくたっていいわけです。それでも、「明確なビジョンを持っていないと」と思っている人は多い。産業医として現場でそう感じます。



──その強迫めいたものは、どこからきているのでしょう?

原田:“すごい人”たちが見えすぎるのが一因かなと思います。僕が生まれた頃は、新聞を読んで「この社長はすごいことを考えてる」とか、テレビで「面白いアーティストがいる」とかを知る程度だった。それが今は、ツイッターやフェイスブックを開くと、身近な人も含め、毎日のようにいろんな人がすごそうなことを言っている。

するとつい、人は比較してしまうものなんだと思います。「この人と自分の差はなんだろう。それを埋めるためにはあれもこれもやらなくちゃ」と。その情報の量が膨大だから大変な時代ですよね。

個人も、企業も、周りがすごそうに見えて困っている中で、ビジョンが必要なのだとしたら、考えるお手伝いをしますよっていう仕事を医者としてやっている尾林くんと、広告屋としてやっている僕。それで意気投合したわけです。

尾林:僕は、ビジョンっていう言葉の“キャッチーさ”がいいと思ってるんです。ビジョンって、みんなが悩み、求め、手にしたいシンボルとして馴染みのあるものだし、不確かだけど輝きがある。どうしたら手にできるんだろう……と、目線や注意を払うものだと思うんですよ。ビジネスパーソンは特に。
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編集=鈴木奈央 写真=山田大輔

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