1位 佐藤、2位 鈴木、3位は? 日本人はなぜ名字の話が好きなのか

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ここで一度、日本の歴史の原点に戻りたい。日本史で最初に登場する人物は誰だっただろうか。小学校から習った、2世紀から3世紀の人物である卑弥呼だ。彼女に名字はない。しかしそれは、天皇や僧侶に名字がないように、女王であったからとも考えられる。

続いて登場するのは、6世紀から7世紀にかけて活躍した蘇我馬子(そがのうまこ)や物部守屋(もののべのもりや)といった豪族たちだ。彼らには、「蘇我」や「物部」といった名字的な部分がある。

古代日本は、大王家(天皇家)を中心とした有力豪族たちでできた連合国家だった。そして大王家は、それぞれ政権内で担当している氏族に「姓(せい)」を与えて区別していた。

平安時代になると、朝廷の重要な役職が藤原氏の一族ばかりとなり、藤原だらけとなってしまった。そこで公家たちは、姓とは別に住んでいる場所の地名などを利用した家号を名乗るようになる。これが、名字の始まりだ。

天皇から与えられた姓とは違い、名字は自分で勝手に名乗ったものなので、いつでも好きに変更することができた。そのため、鎌倉時代から室町時代にかけて記録が残っている一族の系図を見ると、実にたくさんの名字が登場する。

佐藤と鈴木が広まったのには「ワケ」がある


そして現在、名字は全国に十数万種類あると言われている。

ちなみに、日本人の名字情報サイト「名字由来net」が調査した各名字の推計人数のランキングでは、1位が「佐藤」で186万2000人 、2位が「鈴木」で179万1000人、3位が「高橋」で140万5000人となっている(2020年10月時点)。

こうしたランキング上位の名字は、どうやってここまで広まったのか。

1位の佐藤は、藤原一族の末裔だ。佐藤をはじめ、「藤」が付き、また「とう」と読む名字は、基本的に藤原一族の子孫となる。

佐藤一族は、藤原家のなかではそこまで上位の地位にあるというわけではなかった。しかし東北地方に移り住んだことで、名門・藤原家の一族であることが一目瞭然となり、その土地で大きな影響力を手にしたのだ。

2位の鈴木は、「鈴の木」という意味ではない。わら塚の熊野地方の方言「スズ・キ」を「鈴・木」と漢字にした当て字からできた名字である。つまり、鈴木は稲作文化を象徴する、日本ならではの歴史的価値の高い名字だったのだ。

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アメリカの日本の名字知名度トップ10では、「SUZUKI」が断トツの知名度を誇る(Getty Images)
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文=長谷川 寧々 編集=石井 節子

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